前述した元主治医の日比医師との対談で、安倍氏は中学3年の時にお腹に異変を感じたと振り返っている。

<最初は病名のつかない時期があります。中学3年生の時、腹痛の後に下痢と血便が続き、便器が真っ赤に染まってびっくりしました。高校生になってからも年に1回くらい同じ症状が起こりました。今、思えば学期末試験を控えた、ストレスの多い時期に発症したように思います>

 潰瘍性大腸炎は日本には22万人の患者がいるとされ、世界的に増加傾向にある。未だに原因が特定されておらず、厚生労働省は「難病」に指定。安倍首相は病気との闘いをこう振り返った。

<2回目(1996年)の選挙のほうで大変つらい思いをしました。たびたび強い便意が起こるのですが、選挙カーからおりるわけにはいかないので脂汗をかいて我慢していました。本当に苦しかったですね。最大の危機は1998年、自民党国会対策副委員長を務めていた時でした。点滴だけの生活が続き、体重は65キロから53キロに減りました。そこで政治家の進退をかけて慶應病院へ3カ月入院しました>(「消化器のひろば」より)

この頃のことを安倍夫妻のキューピット役を務めた元山口新聞東京支局長の濱岡博司氏はこう回想する。

「晋ちゃんは40代半ばの頃、虎ノ門病院に1カ月間くらい入院していたことがあるんです。一時は、余命数カ月と宣告されるほど悪化したと人づてに聞きました。母親の洋子さんや妻の昭恵さんもとても心配してね。同じ山口県出身の霊能者が『病室に毎日のように通い、晋ちゃんの体に手かざしをしている』と聞きました。安倍家は心酔している様子でしたね」

 ワラにもすがる思いだったのだろうか。 辞任後は新しい治療が寛解することを祈るばかりだ。(上田耕司)

※週刊朝日オンライン限定

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