TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は、コラムニストの泉麻人と歩いた「トキワ荘界隈」について。
* * *
もう何年も前だ。目白通り沿いでなにげなく夕空を観ていたらポーンと花火が上がった。僕はバスに乗らずに眺め続けた。後日、それはとしまえんの花火と知った。その遊園地が閉園し、世界最古級の回転木馬に「ありがとう!」と声が上がった。友人にとしまえんに行ったことのある者はいない。中央線より南はよみうりランド派で、池袋線より北はとしまえん派が多いのかも。
この夏同じ池袋線沿線にトキワ荘マンガミュージアムが開館した。元々あったトキワ荘に足を運ぶことはせず、いつの間にか解体されていた。僕は知らないことが多すぎる。大学の先輩で、ラジオ番組でもお世話になっている泉麻人さんと界隈を歩いた。
地元出身の泉さんは色々教えてくれた。まず、赤塚不二夫の文章。「中央に廊下があって、両側に四畳半の部屋が並んでいる。共同の便所と台所が、階段をあがってきた正面にあり、部屋は十二、十三だったと記憶する」(『笑わずに生きるなんて ぼくの自叙伝』中公文庫)
漫画の神様と言われる手塚治虫を慕う漫画家志望の若者たちが集まったトキワ荘は、漫画の聖地と呼ばれるアパートだった。
「パッと見、誰かが住んでいるような木造モルタルアパートだね」と泉さん。「階段を上るとぎしぎし軋(きし)む音まで再現されている。昭和だなぁ」
テレビには当時のCMが流れていた。どこまでも芸コマなミュージアムである。
「『おそ松くん』や『オバQ』とか、原っぱにドカンが置いてあるのが昭和の風景だった」という泉さんがフォークギターを買った楽器屋、豆腐屋、プラモデル屋、ケロちゃん人形を貰った薬局は幼稚園の同級生の家だった。「あ、どうも朝井です」とつかの間の昔談義。
「本屋で(少年)サンデーを買っていたんだけど、漫画家さんも売れているかチェックしていたんじゃないかな」