中野:おおたわさんのお母さまは、たいへんな教育ママだったんですね。

おおたわ:現在は、英才教育はなんの効果もないと実証されていますけどね。母は「娘を医師にしなければ」という使命感に駆られていたし、隙間を埋めないと不安でどうしよもなくなる人だったから、娘を放任してのびのびと成長させることができなかったんでしょう。

中野:求める水準が高すぎて、いくらいい成績をとっても娘を褒めることはほとんどなかったというお話でしたね。私が育った家庭は逆で、「女の子は勉強できてもねぇ」と言われ、私が勉強していると親はすごく嫌な顔しました。

おおたわ:女の子は勉強できなくても、かわいくあればいいということ?

中野:そういうことです。それよりもいい人を見つけて、早くお嫁さんになりなさい、と。女性は口答えをせず、控えめに。勉強があんまりできると、かえって婚期が遠のくといわれていました。

おおたわ:中野さんはそれでも勉強してキャリアを積んで、そして現在、すてきなパートナーとご結婚されているんですね。結婚してもしなくても、親と過ごす何十年が人生の最初のほうにあって、その後に親と過ごさない何十年間があって、そっちのほうがよほど長くなることが多いわけです。だから毒親の呪縛にずっとがんじがらめになっていて、「私はこんな苦しかった」と思い続けるより、親と過ごさない何十年のほうに目を向けないと、人生をやっていけない感じがします。

中野:親のほうが取るべき行動もありますよね。私は東京藝大の大学院で陶芸史を履修したのですが、その中で焼き物の製作法も勉強します。鋳込み、という方法があって、これは石膏で“鋳込み型”というものを作り、そこに陶土を流し込んで一緒に焼く。その後、鋳込み型を壊すと器ができる。私はこの鋳込み型が親の教育で、やがて器になる陶土が子どもの脳のように思うんです。鋳込み型を壊してようやく器として完成、のはずなんですが、現代人は親も子どももそれを壊したくないのかもしれない。

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親の役割とは?