おおたわ史絵さん(左)と中野信子さん(撮影/写真部・掛祥葉子)
おおたわ史絵さん(左)と中野信子さん(撮影/写真部・掛祥葉子)

 母を捨てるということ――。

 この言葉に、ぎょっとする人がいるかもしれない。捨てるという選択肢があったのかとハッとする人もいるかもしれない。どう感じるかは、人によって大きくわかれるだろう。この言葉は、医師であり、テレビコメンテーターとしても活躍するおおたわ史絵さんによる新刊のタイトルだ。

 麻薬性の鎮痛剤に依存した母。医師である父が薬を与え、本人も元看護師なので自分で注射を打つことができたため、あっという間に深刻化した。腕は注射痕だらけで、注射器が家のあちこちに転がっていた。娘に対しては、成績が伸びないと暴言を浴びせる。体罰を加える。おおたわさんの子ども時代は、それが日常だった。本書は、実母との関係を断ち切りたくとも、断ち切れずにいた、おおたわさんの、長きにわたる葛藤の記録である。

 本の発売を記念して、おおたわさんと、脳科学者の中野信子さん、かねてから親交のあるふたりによる対談をお送りする。今回のテーマは「毒親」。

*  *  *

おおたわ:子の成長に悪影響を及ぼす親を“毒親”と表すようになったのは、ここ数年のことですよね。私が子どものころはそうした言葉はありませんでしたし、そもそも私は自分の親を毒親だとは思っていないんですよ。傍から見たら「とんでもない親だ」「毒親だ」と評価されても、渦中にいる本人は決してそう思ってはいないものです。なぜなら、ほかのお母さんもほかの家庭も知らないから。自分の親しか知らなければ、それが普通になるんですよ。だから私は、いまも母のことを“毒”だったとは思っていないですね。

中野:私もまさに『毒親』(ポプラ社)という本を書きました。毒親という種類の親がいるのではないと思うんです。関係のなかで毒になってしまう。たとえばおおたわさんとお母さまの関係も、母娘でなく医師と患者さんだったら、もっとお互い穏やかにいられたかもしれないですよね。

おおたわ:そう。他人だったら、心から嫌うこともできた。家族だから、傷つけることになってしまったんだと思います。思うに、毒というのは誰のなかにも潜在的にあるんですよ。それがたまたま出てしまうような条件や関係性が成立したときに、はじめて毒親と呼ばれるような現象が起きる。「この人は毒母だから悪い人」「この人はそうじゃないから、いいお母さん」と簡単に線が引けるような話ではないと思っています。私のなかにも毒になるような要素があって、もし子どもを育てていたら、それが表出して毒親になっていた可能性はあるんじゃないかなぁ。

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たいへんな教育ママだった母親…