1月15日、映画監督の大島渚さんが逝去した。享年80。同世代でテレビでもよく共演していたジャーナリストの田原総一朗氏は、「心強い兄貴」と大島監督との思い出を振り返った。

*  *  *

「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日)は、今年で27年目を迎えるが、初期から中期にかけて、大島さんは作家の野坂昭如さんと並んで、レギュラーのように出演してくれた。大島さんにはタブーやコンプライアンスなど、あってないようなものだった。
 
 朝生では「昭和天皇論」や「被差別部落論」「原発論」「暴力団論」など、タブーとされていたテーマを次から次へと取り上げ、激論を展開したが、そのほとんどは、大島さんが言いだしたものだった。大島さんは、司会の私がいささかでもひるみ、はぐらかすような姿勢を見せると、「バカヤロー」「逃げるな」と怒鳴ってくれた。

 私は、学制が6・3・3制になった「新制中学(現在の中学校)」の第1期生だ。私たちの世代以降は、国家権力の矛盾を突くとき、論理的に説明をしようとするが、大島さんら「旧制」世代は憤りをそのまま表現する。だから、迫力が格段に違う。彼らは、国民の強い抑止力がなければ、国家権力はいくらでもエスカレートすることを体験として知っているからだ。だからこそ、怖いけれども、心強い兄貴だった。

週刊朝日 2013年2月1日号

[AERA最新号はこちら]