旅行予約サイトから一時利用条件の変更が発表されるなど、混乱を呼んだGoToキャンペーンだが、どうやら当初の利用条件へ戻すことになったようだ。まずは、めでたしメデタシ。原因はといえば、割り当てられた給付金が予定量に達しそうになったからとか。コロナ対応で自粛生活を強いられていた多くの皆さんが「そろそろ羽を伸ばしても良い頃なんじゃない?」と強く思った、ということなのだろう。私も気持ちは全く同じ。ご挨拶が滞っていた神社仏閣へお参りしたい気持ちは割引条件に反比例して高まっており、「いざ行かん」という感じの今日この頃なのである。
●日本全国に広がる日本武尊伝説
こうして神社めぐりをしていると、社の縁起の中でよく耳にする名前がいくつかある。徳川家康や家光などはもちろんお寺においても良く聞くが、もっと古く、生きていた時代以降の後世にも語り継がれ創建にかかわってきたのが日本武尊(やまとたけるのみこと)である。西暦100年ごろ生きた人物で、父は第12代・景行天皇、息子が第14代・仲哀天皇であることから本来ならば天皇となるべき皇統だったことがわかる。古事記や日本書紀などで日本武尊の活躍はいくつも紹介されているが、その武勇のためか悲哀を含んだ逸話のためか、永く人々からの人気を集め、全国各地さまざまな場所で祭られている。
●武蔵国の名の由縁は
11月になると関東で熊手が売られる人気のお酉(とり)さまは、日本武尊にちなんだ神社で行われる行事であるし、東と書いて吾妻(あずま)と読んだり、焼津や袖ケ浦などの地名の由来にも日本武尊伝説が関わっていたりする。極め付きは、江戸名所図会の巻頭で紹介されている「武蔵国」という地名の由縁についてである。図会いわく「日本武尊が東征の折、武具を秩父岩倉山に収めた。これが武蔵國号のいわれなり」と。実際にはこの話は俗説として扱われているが、江戸で人気の観光案内書にこのように紹介されるほど日本武尊は知られた人だったということなのだろう。
●神社の歴史は都市の歴史
飛鳥時代に「武蔵国」の国土は定められ江戸時代まで続く律令国となるわけだが、歴史的に見るとそれ以前にあった无邪志(むさし)国と知々夫(ちちぶ)国の国を合わせて出来上がったと考えられている(あるいはもう1つあった可能性も)。全国に令制を敷いた折、“国名を2文字で”という通達が出たため、无邪志を武蔵という漢字に変えたのだという。この頃、武蔵国の中心は現在の埼玉や奥多摩・多摩川付近で、その証左として2000年近く前に祭られた武蔵国の神社のほとんどがこの付近にしか存在しない。