

23日から全国公開される映画「朝が来る」。原作は直木賞作家・辻村深月の同名小説で、2人の女性と1人の子供が、特別養子縁組という制度を通して人生を交える様を描いた。監督を務めた河瀬直美さんが映画を撮る理由とは。
【前編/映画『朝が来る』の河瀬監督が伝えたい“家族の形”と“未来の扉”】より続く
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この日は、奈良と東京を繋いでのリモート取材。ふんわりとした奈良の言葉を使う河瀬監督は、画面越しに、現代の人なのか“いにしえ”からやってきた人なのかわからないような、懐かしさと新しさが混ざり合う優しさを纏(まと)っている。少女時代の話を聞くと、「運動が好きで活発でした。高校ではバスケットボールに夢中で、チームのキャプテンとして国体にも出場したんです」と快活に話す。
「でも、幼稚園に入る前まですごく引っ込み思案で、特に男の人が近づくと逃げていたと養母からよく聞かされました。小さい頃に両親が離婚して、置き去りにされた感覚があったのか、外の世界が怖いと感じていて。大人しい、いい子でいればみんなそばにいてくれるけれど、自分の欲求を通してしまうとみんないなくなってしまうんじゃないか。そういう恐怖心がすごくありました」
祖父母の養女となったことで、いわゆる親からの躾や教育とは無縁のままに成長した。高校を卒業すると、大阪の写真専門学校に通い、映画を学ぶことに。お金がないので、身近にあるものをテーマにドキュメンタリーを撮った。そうするうちに、自分の中にある空虚感のようなものが埋められていく感覚を覚えた。
「世間との関わりがうまくできない、生きづらい感覚の中、映画を通せば関わりをより深くできることに気づいた。私が乗っているのが二輪車だったとしたら、人生という一つの車輪があって、映画はもう一個の車輪でした。映画と人生、二つの車輪が一つになって、私を世界へ送り出してくれたのです。一つだけだと、すぐに転んじゃうけど、二つの車輪があったから、私は勇気を持って前に進めたんだと思います」
34歳で出産して以来、河瀬監督のアイデンティティーを支えている人生そのものと映画以外にもう一つ、子供が加わった。