

女優として初舞台を踏んでから来年で40年が経つ黒木瞳さん。福岡で生まれ育ち、宝塚を経て、日本を代表する女優になった。50代になって迎えた“人生の突然変異”。それは、映画監督になったこと。
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少女時代、運命を変える映画と出会った。
「風と共に去りぬ」──。アメリカでの公開から80年以上が経った今も「世界中のどこかの町で上映されている」という都市伝説まである不朽の名作だ。まだぼんやりとした未来予想図しか描けなかった少女の心に、一陣の風が吹いた。「あのスクリーンの中に入りたい!」と、強烈に思った。
「でも、だからといって具体的にアクションを起こしたわけではありません。高校に進学した時点では、将来は公務員になろうと思っていました。芝居に興味はあったので高校では演劇部に入り、舞台でのお芝居に触れて、『せっかくなら本物の舞台も観てみたい』と思うようになったんです」
ちょうどその頃、福岡で宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」が上演されることを知った。
「“芝居の勉強のため”と思い劇場に足を運ぶと、そのあまりの熱量と見たこともない美しさに衝撃を受けました。『こんなに素晴らしい世界があったなんて』と心が震えたんです」
まさに運命の出会い。すぐに宝塚に夢中になったが、高校卒業を間近に控え、宝塚音楽学校を受験したときは、「特にレッスンを受けているわけでもない自分が受かるはずがない。落ちてすっぱり夢を諦めよう」ぐらいの気持ちだった。
「なのに、運よく合格できて……。憧れの世界でいろんなことを学び、憧れの舞台にも立てました」
初舞台から4年半後、宝塚を退団した。
「若かったので、辞めてから先のことは考えればいいや、と。それまで、私の心の中の一番を占めていたのは宝塚でしたが、一番好きだった場所から離れたとき、『私はもともと映画が好きだったんだ』ということを思い出して。そこから東京に行く決意をしました」