■慶應医学部生の五輪代表に、教授会は「出場するなら留年させろ」
これまでオリンピックに出場した医学部、歯学部の学生は少ないが、珍しいというわけではない。ボート競技では五六年メルボルン大会に出場した慶應大医学部四年の比企能樹がおり、当時をこうふり返っている。
「実は、私のオリンピック出場を許可するかどうか、医学部の教授会で問題となっていたそうです。なぜなら、出席日数が足りないからです。教授会の大勢としては、『もし行くなら留年させろ』という意見が多かったようですが、その場で、当時の学生部長であり、薬理学の教授であった西田先生の『行かせましょう』の鶴の一声で私は晴れてオリンピック代表になれました」(慶應大弁論部エルゴー会[OB会]会誌『ERGO』四八号 二〇一七年四月)
ところで、オリンピックのボート競技と歯学部はなぜか縁がある。
七六年モントリオール大会のボート競技では、東京医科歯科大歯学部学生だった俣木志朗が出場している。その二〇年後、九六年アトランタ大会では新潟大大学院医歯学総合研究科の大学院生、小日向謙一が、軽量級ダブルスカルで出場した。
二〇〇〇年以降、オリンピックに出場した医学部、歯学部の学生、出身者は現れていない。二〇一九年獨協医科大医学部に入学した朝比奈沙羅は、女子柔道で世界選手権を制覇したことがあり、二〇年東京大会を目指していたがかなわなかった。また、ラグビー日本代表、ワールドカップで活躍した福岡堅樹(筑波大出身)は、一六年リオデジャネイロ大会で七人制ラグビー代表となった。彼は医学部を目指し、二〇二〇年東京大会の出場を断念した。