東日本大震災からもうすぐ2年。町の再建がなかなか進まない三陸海岸に、再開したホテルの灯がともり始めている。
陸中海岸グランドホテルの野村亨平(きょうへい)社長は、津波で妻と両親、そして自宅を失った。
2日後に、ようやく釜石湾の目の前に立つ自分のホテルに行くと、1階と2階は柱だけになり、3階以上は避難所になっていた。再開する気も起こらず、廃業しようと思った。
「家族もなくしましたし、首をつろうと思ったこともあります。1カ月くらいゴーッという津波のような音が頭の中で24時間鳴りっぱなしで。体調も変になって、便秘かと思ったら直腸がんでした……。胆石もスプーンで3杯分とれまして。手術でおなかに6カ所も穴を開けましたよ」
それでも立ち上がって、昨年11月に再開できたのは、3人の子どもがいたから。柔道をしている末娘は、高校生になった。ときに新聞で取り上げられるほど活躍している。
「娘が大学を卒業するまでは、何とかしなきゃいけない、と思いまして」
娘の話になると、いかつい顔がふとゆるんだ。
※週刊朝日 2013年3月8日号