ついにニコンは、70年以上続けてきたカメラボディーの国内生産に幕を下ろす。これまでボディーの製造は、宮城県にある「仙台ニコン」と、タイの「ニコンタイランド(NTC)」で行ってきたが、コスト削減のため、タイ工場に集約する。
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ミラーレスカメラZ 7、Z 6の生産は9月末で完了し、10月からタイへの生産移管準備を開始している。デジタル一眼レフのD6も2021年度中にタイへ生産を移管する予定だ。
1971年に設立された仙台ニコンは、仙台市の南に接する名取市にある。一眼レフの生産は「リトルニコン」の愛称で知られるEM(79年発売)から始まり、徐々に高級機の生産へとシフトしていった。海外の生産工場に対して技術指導を行う「マザー工場」としての役割も担ってきた。
私はこれまで仙台ニコンを取材で3回訪れたことがある。最近の製造現場はカメラのデジタル化にともないクリーンルーム化されているが、それ以前はニコンF5など、フィルムカメラが作られる様子をすぐ横に立って見ることができたのはいい思い出だ。
■「ニコンは一つ」 目に飛び込んできた応援メッセージ
なかでもいちばん印象に残ったのが2013年の訪問だった。
その2年前、名取市は東日本大震災の大津波に襲われた。仙台ニコンの工場には津波は達しなかったものの、地震の揺れによって大きな被害を受けた。
工場に足を踏み入れると、大きな文字で「ニコンは一つ」と書かれた横断幕が目に飛び込んできた。そこにはたくさんの応援メッセージが書き込まれていた。被災した仙台ニコンを激励するため、NTCから贈られたものという。
会議室に招き入れられ、身が引き締まる思いがしたのは、担当者がこうあいさつしたときだった。
「誠に残念ながら、東日本大震災により仙台ニコンの従業員にも犠牲者が出ました。亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りします。これから東日本大震災による被害状況、そしてどう復旧していったかを説明します」