2017年の箱根駅伝を観戦する森豊氏(著者撮影)
2017年の箱根駅伝を観戦する森豊氏(著者撮影)
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思いを込めて語ってくれた慶応大学OBの兒玉氏
思いを込めて語ってくれた慶応大学OBの兒玉氏
4区を力走する慶応大学 兒玉。チームメイトが懸命に声援を送る(写真提供:兒玉孝正氏)
4区を力走する慶応大学 兒玉。チームメイトが懸命に声援を送る(写真提供:兒玉孝正氏)

 新型コロナウイルスの感染拡大のために、開催が危ぶまれた箱根駅伝だが、2020年の第97回大会は、沿道での応援は自粛要請が出された形で行われる。

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 今月、青山学院大学の原晋監督は恒例の作戦名を「絆大作戦」と発表した。「絆大作戦」は、駅伝の原点である選手から選手へと襷をつなぐ行為から、国難である今こそ、人との絆を大事にしたいという思いがある。
コロナ禍の今を「国難」と表現する報道に何度か出会った。ちょうど原の「絆」という言葉から、私は戦時下のあの幻の箱根駅伝を思い出さざるをえなかった。

軍部を動かした幻の独自大会

 その大会は1943年1月5、6日に開催された「紀元二千六百三年 靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会」である。箱根駅伝は戦争のため、40年を最後に中止された。戦局も不利になり、選手たちは「戦争で死ぬ前にもう一度箱根を走りたい」と願い、軍部を説得して開催したのである。長く箱根駅伝として認められなかったので、幻の大会とも呼ばれる。いったい学生たちはどうやって軍部を動かしたのだろうか。

 圧力をかける軍部に認めさせるために、関東学生陸上競技連盟がとった策が戦勝祈願のために、コースを靖国神社・箱根神社間往復にしたことだ。靖国神社は軍神をまつり、箱根神社は武家の崇敬を受けていた。大会名も変えた。開催が決まったのが、前年の秋という慌ただしさだった。

 主催は関東学生陸上競技連盟だったが、軍部の圧力で、当日の大会パンフレットでは「大日本学徒体育振興会」(文部省の外郭団体)と変更させられた。しかし学生たちはプログラムに「KGRR」の関東学連のマークをひそかに入れて抵抗する。そんな中で大会が始まった。

 しかし大学には、繰り上げ卒業で長距離選手が少なかった。各大学ともハードル、砲丸投げ、高跳び、短距離の選手も動員して、臨むことになった。

 参加校は日本大学、慶応義塾大学、法政大学中央大学、東京文理科大学(現・筑波大学)、立教大学、早稲田大学、専修大学、東京農業大学、拓殖大学、青山学院専門部(現・青山学院大学)の11校である。青山学院にとって初めての箱根での駅伝である。

 5日の往路で活躍したのは慶応大学である。その功労者は4区の兒玉孝正である。取材当時(2015年12月)92歳の兒玉は箱根の意義を語る。

「箱根駅伝は、走った者でないとよさはわかりません。戦時下でも青梅駅伝がありましたが、あれはサブです。やはり駅伝は伝統、憧れの面でも絶対に箱根なんですよ」

 この日、空は晴れていた。平塚中継所の兒玉は2位で襷を受け取った。トップは日大で古谷清一の姿が遠くに見えた。ただ足取りが弱っていた。兒玉は自分が死に物狂いで走れば追い抜けると信じた。兒玉は大会の写真を持参して当時を回想した。

 右手に丘陵が迫り、左手では学生たちが声をかけている。ゆるやかな坂を兒玉が必死の形相で走っている。足も上がらず、苦しそうだ。サイドカーが伴走し、監督が声をかけている。兒玉はこの後古谷を抜く。古谷は陸上部ではなく、一般学生だったといわれる。

「抜いたのはコースの真ん中だと思います。近づいてから相手の息遣いも含めて、苦しさが伝わりました。だけど僕も苦しいから悠々と抜いたわけではないです」

 慶応は5区でも首位を守り往路優勝を果たした。

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日本大学にいた「山の神」