たまたま社会に出た時期が就職氷河期だった。その不遇がいまも続く。転職もままならなかった。昨年、政府がこの世代の支援に乗り出したが、コロナ禍が直撃。就活はうまくいかない。なぜこうも不運なのか。ロスジェネ世代を取り上げた、AERA 2020年12月21日号の記事を紹介する。
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「管理職が休むなどけしからん。もう来んでいいから」
今年4月、大阪府の男性(48)が熱を出して自宅で休んでいたところに勤務先の会社の上司から電話がかかってきた。
風俗店を顧客にする広告会社だった。長年、非正規の仕事をしたり、生活保護を受けたりしながら食いつなぎ、今年1月になって約15年ぶりに得た正社員の仕事だった。
雲行きが変わったのは3月半ばだった。感染経路がわからない新型コロナウイルスの感染者が社内から2人出た。世界保健機関がパンデミックを宣言し、大阪では吉村洋文知事がその月の3連休で大阪─兵庫間の不要不急の往来自粛を求めた時期だった。
管理職以外の社員は在宅勤務となり、営業担当は外回りができずに業績は低迷した。そんな中、男性が熱で会社を休んだのは決められたルールに従ったまでだった。
「私も人事の仕事をしてきたので、辞めろということだな、とすぐにわかりました。業績が落ちている様子でしたので、熱を出して休んだことにかこつけたんだと思います」
今は生活保護で暮らしているという男性のこれまでの道のりは、平坦ではなかった。
地方公務員だった父親とは子どものころから折り合いが悪かった。地域で一番の公立高校に通ったが、現役で合格した関西の有名私立大学には、国立志向の父に反対され、行かせてもらえなかった。結局、2年浪人して別の関西の有名私立大に入学したが、就職活動でも苦労した。
就活を始めたのは大学3年だった1995年の秋。その年の1月には阪神・淡路大震災、3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた。
■短期間に転職繰り返す 頑張ってもなぜか裏目
バブル崩壊からも5年ほどたっていた。日本の金融機関が抱える巨額の不良債権は世界的な問題となっていた。日本経営者団体連盟は「新時代の日本的経営」と題した提言を発表。終身雇用や年功序列賃金といった日本的な経営の大幅な見直しを求めた。世の中の雰囲気が急激に様変わりしていった。