

TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は、師走について。
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7年前の大晦日、音楽プロデューサーの松任谷正隆さんをパーソナリティに年末年始特番を企画したときのことだ。
年をまたぐ前日に大瀧詠一さんが亡くなり、放送当日の打ち合わせの際、正隆さんがその訃報に涙を浮かべていた。僕は、若かりし頃の音楽少年特有のナイーブな交流に思いを馳せた。
季節は真逆だが、師走というのはまるでお盆のようだ。忙しさの合間にこの年この世を去っていった方々を思い、ふと訪ねてくるような気がする。
劇作家で演出家の長塚圭史がプロデュースしているというのでスタッフと連れ立って『ともだちが来た』を観にいった。鈴江俊郎・作、中山祐一朗・演出の本作パンフレットに圭史はこんな文章を寄せていた。コロナ禍での上演に際して、である。
それでもこうして上演しようと思ったのは、この戯曲が孤独と死を深く見つめるからです。なぜあいつは死んでしまったのか、その理由は遺書があっても本当のところはわかりません。飛び降りたその瞬間に「早まった!」と思ったかもしれない。その心情は決して掴めない。でも「私」の部屋に「友」は来ました。まずこんな優しい場面はないですね。それでいて残酷です。もう「友」は戻らないのですから。でも語り合えるのです。(略)演劇なので生の「友」が「私」の前に、そしてお客様の前に、足音を立てて、汗をかきながら現れます。
やぁ、ひさしぶり。ふと、高校時代、同級生だったともだちが訪ねてくる演目である。ともだちとは剣道部の仲間だった。自転車(ママチャリ)を漕ぎ、アパートの部屋の周りをぐるぐる回っている。この時点でともだちは既にこの世にいないことを観客は知らないが、二人の会話を聴くうちにそれが徐々にわかってくる。
19歳のともだちは童貞だった。恋も仕事も人生はこれからだった。ともだちを喪った哀しみと、この世を去らざるを得なかったともだちの無念が伝わってくる。ともだちが自転車を漕ぐ音に、かつて忌野清志郎が亡くなったとき追悼番組で高校生の清志郎が愛読したというヘルマン・ヘッセの『車輪の下』に触れ、そこに車輪が回る音を入れたことを思い出した。