作家の下重暁子さん
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写真はイメージです(Gety Images)
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 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、最近読んだある本について。

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 緊急事態宣言下、毎日よく本が読める。一日一冊、読み始めると止まらない。最後まで読み通すのが癖で、途中でやめるということが出来ない。昔から家で読み始め、駅で電車を待つ間、電車の中と、ともかく読み続け、あやうくホームから落ちそうになったこともある。

 終わるまで眠れないので、長いものになると、白々と夜が明けはじめ、翌日は寝不足でもうろうとなる。従って年を重ねてからは、夜は読むことをしない。午後から始めて短いものなら夕方まで、長いものでもその日のうちに読み終えるように努力する。

 新幹線など長距離の移動では、二時間ならその間に読み終えるもの。大体、文庫や新書などはそれで十分、目的地に着いた時、ぴたりと終わるとスリルがあって実に気分がいい。毎日少しずつ計画的にという理性的な読み方ではなく、一気飲みならぬ一気読みである。その能力がまだ衰えていないのが救いだ。

 最近読みごたえのあったのが、塩野七生著『小説 イタリア・ルネサンス』(新潮文庫)全四巻であった。

 かつて出版されたものの文庫版で題名も変え、新作も加えている。

 一巻がヴェネチア、二巻がフィレンツェ、三巻がローマ、四巻が再びヴェネチアである。イタリアの政治と文化の中心地を題名に、ローマやフィレンツェが早くからスペインやトルコに支配されるのに、なぜヴェネチアが生き残ったかがテーマである。

 今でこそ、運河とゴンドラの街として知られる観光都市だが、かつては海の上に人工的に建設された共和制の都であった。交易都市であり、水の上の浮巣のような幻の街を維持させるためには、ローマやフィレンツェのように力を誇示するのではなく、柔軟な思考が必要だった。

 四巻を通じて登場するマルコは、ヴェネチアきっての貴族の息子だが、彼はヴェネチアという国家を体現しているような人物である。自分の生き方が芯にありながら、白・黒つけず、柔軟性のある考え方で生き延びていく。他の登場人物たちは悲劇的な生き方をして、それゆえに実に印象的なのだが……。

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