港区三田にある「綱坂」
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平安神宮で行われる平安時代の節分宮中行事を再現した「大儺之儀」(令和3年は中止)

 少し早いが、2021年は暦と天球の調整が現れる年なので節分の話をしておこうと思う。ご承知のように現在、世界中のほとんどの国で使われている暦はグレゴリオ暦(太陽暦)で、太陽の動きをもとに作られたものである。日本は明治6年から天保暦(太陰太陽暦という月の動きを中心としたもの)をグレゴリオ暦へと変更したという歴史がある。

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 この他に、二十四節気(にじゅうしせっき)という中国で生まれた1年の太陽の動きを24に分けて季節を表す方法が、古代よりあった。これは1年で一番、陽の長い夏至、短い冬至、その間の春分・秋分で4等分し、その中間を季節の節目とした(節気図参照)。この季節の始まり─つまり立春・立夏・立秋・立冬─の前日を節分と呼ぶ、正確には。

●令和3年の節分は2月2日に

 ところが、現在「節分」を意味するところは立春の前日のみとなってしまったことは以前の記事で詳しくご紹介したのでここでは割愛する。ここ100年ほどを生きていた私たちにとって、節分は2月3日(正確には1900年代中頃までは2月4日の年もちょくちょくあった)と思っているが、令和3(2021)年の今年、節分は2月2日になる。2100年くらいまでは2月2日と3日の年が現れる時代へと移るのだ。つまり、同じ太陽を元に作られている暦と二十四節気は数十年単位でズレが生じていることになる。「子どもの頃は2月4日が節分の時もあったよね」と言っても、2100年過ぎくらいまでは嘘つき呼ばわりされてしまうのである。ちなみに1984年の節分は2月4日、これ以降、昨年まではずっと3日である。

●古来の暦は天とともに変動

 この原稿を書くために、いろいろ下調べをしていて気がついたのだが、2021年から立春が1日早まることは5~6年前には理解されていなかったようだ。以前の未来カレンダーでは2024年までは動かないと考えられていたらしい。今年は干支で言えば辛丑という「古きを捨てて新しきを生み出す」によい年回りとも言われる。地球と太陽の関係も予定よりも早く動いたということだろうか。なかなか興味深い話である。

●節分の始まりは平安時代の宮廷行事

 さて、この節分(今回は立春の前日を指す言葉として使用する)の習慣というのは、平安時代に宮中で行われていた「追儺(ついな)」あるいは「鬼遣(おにやらい)」が元になっていると考えられている。室町時代ころから仏教の影響から豆撒きが始まった。家中にある「まがまがしきもの」すべてを鬼と見て、「魔滅(まめ)」で追い出すのである。そして鬼を追い出すパワーを持った豆を食することで、季節の変わり目に入り込みやすい魔を退治する意味を持つ。ところが、ある時代から、とある苗字を持つ家は、豆まきが必要でないと言われるようになる。その名前は「ワタナベさん」である。

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