笠井信輔さん(57、右):1963年、東京生まれ。2019年にフジテレビを退社し、フリーアナウンサーに。がんの体験を著書『生きる力 引き算の縁と足し算の縁』につづっている/茅原ますみさん(56):1964年生まれ。テレビ東京で報道記者、アナウンサー、ドラマ制作などを経て、現在は総務人事局でCSRなどに携わる(撮影/加藤夏子)
笠井信輔さん(57、右):1963年、東京生まれ。2019年にフジテレビを退社し、フリーアナウンサーに。がんの体験を著書『生きる力 引き算の縁と足し算の縁』につづっている/茅原ますみさん(56):1964年生まれ。テレビ東京で報道記者、アナウンサー、ドラマ制作などを経て、現在は総務人事局でCSRなどに携わる(撮影/加藤夏子)
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AERA 2021年2月8日号より
AERA 2021年2月8日号より

 AERA2020年2月10日号では、妻の茅原ますみさんが、夫・笠井信輔さんのがんに対する思いを語ってくれた。2021年2月8日号では、笠井さんは6月に「完全寛解」、当時の思いを二人で振り返る。

【笠井信輔さんが「完全寛解」の診断を受けるまで】

*  *  *

 笠井信輔さんが悪性リンパ腫の診断を受けたのは2019年11月末。約4カ月の入院を経て、昨年6月に「完全寛解」を果たした。

笠井:いま、ひじょうに健康です。「とくダネ!」を20年間やっていたときは毎朝2時半起きだったけど、いまは仕事次第で8時まで寝ていられるし。2カ月に1回通院して経過観察するだけで、治療はしていません。

茅原:夜遅くて寒い中でも、近所のスーパーに率先して買い物に行ってくれるので、私はそういうところで「ああ、ちゃんと治ったんだな」と実感します。

笠井:あ、褒められた!

茅原:めったにないことね(笑)。

笠井:悪性リンパ腫は診断が難しい。がんの診断が下るまでに4カ月かかりました。がんと言われたときには、「がんじゃないって2回も言われたのに!」と思いましたが、今の主治医は「最初の診断も誤診ではない」と。本当にやっかいな病気です。

──共にテレビ業界で働く「情報のプロ」。病気に対する情報には、どう向き合ったのか。

笠井:診断名がついた後、ネットで「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」という言葉の意味は検索しましたが、治療法や生存率は一切見ませんでした。テレビの仕事でネット情報に惑わされた経験が山ほどありましたから。ネットの特性からして、アクセス数を稼ぐためにインパクトのある見出しや症例を掲載している。悪性リンパ腫は「死んでしまう病気」「助からない」という答えになるだろうと。そんなもので自分の病気を判断するなんて、もっての外だと思いました。

茅原:私の場合、そもそも病名が長すぎてわからないという感じでした(笑)。それに、何の根拠もないんですけど、なぜか「大丈夫」と確信していたので、調べなくていいかなと。主治医と話したとき、「信頼できる」と確信できたので、自分で調べて先生にぶつけるのは、時間がもったいないとも思いました。

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