

TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は、「ばかやろう文化」について。
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「ばかやろう」が口ぐせの先輩がいた。僕より二回り以上年上のディレクターで、番組の企画を考えるときも、選曲するときも、食事をするときも、まず「ばかやろう」。
半世紀以上前、FM黎明期から現場で、別格のセンスを持つ人だった。
大学時代、深夜番組(『渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ』、MCは小林克也さん)からデニス・ブラウンのレゲエ「ラブ・ハズ・ファウンド・イッツ・ウェイ」が流れていて、こういう美しい曲をかける局ならとFM東京を受けた。入社して番組を作ったディレクターを探したらその人だった(どこにでもいそうな普通のおじさんで少しがっかりしたが、笑)。
ニューポート・ジャズフェスティバルなどの取材で世界中を飛び回っていたから僕と直接の交流はなかったのに、彼が編成部長になるとその部下に呼ばれた。
挨拶もそこそこに、似合わないネクタイ姿の彼は「おい、ばかやろう」ときた。僕は何だかムッときて、「いきなり『ばかやろう』って、何なんですか!」と言い返した。
翌朝少し上の先輩がやってきて「お前はまだ子どもだな」と笑われた。
「あの人の『ばかやろう』って、誉め言葉なんだぜ」
コンプライアンス上、今では考えられないことかもしれないが、かつて放送局にはこんな「ばかやろう文化」があった。それはきっと出版や新聞、映画の世界でも同じだろう。
頑固でつむじ曲がり、シャイで愛すべき先輩たちを思い出したのはニール・サイモン作『23階の笑い』を観たからだ。50年代のアメリカのテレビ界が舞台だが、三谷幸喜が上演台本を仕立て直し、演出した。
お洒落と野球が趣味のコント作家たちは何かにつけギャグをまくし立て、毒舌と本気の喧嘩も日常茶飯事、高層ビル23階にあるオフィスを率いるコメディアン、マックス・プリンス(小手伸也)は何かにつけてまず「ばかやろう」。そのセリフにかつての「ばかやろう」連発の先輩を思い出し、命がけで番組を創る心意気を懐かしく思った。泉麻人さんの『冗談音楽の怪人・三木鶏郎 ラジオとCMソングの戦後史』(新潮選書)は僕の愛読書だが、三谷脚本は鶏郎さんや周辺にいた放送界の大先達、野坂昭如さんや永六輔さんたちへのオマージュにも思えた。