仮設住宅に残り続けた藤間義春さん(撮影/編集部・川口穣)
仮設住宅に残り続けた藤間義春さん(撮影/編集部・川口穣)
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 東日本大震災から10年を迎える今年。しかし、いまだにその影響で住む場所を見つけられない人がいる。AERA 2021年2月15日号で取材した。

【写真】圧倒的な威圧感がある 高さ9.7メートルの防潮堤(石巻市)

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 10年の歳月を経てなお、終の棲家を見つけられない人もいる。

「もうこの街にはいでぐねえよ」

 藤間(とうま)義春さん(58)は、宮城県石巻市の自宅前で力なく言った。家のすぐ裏手にはまっすぐな空き地が延びる。市道の建設予定地だという。

 記者が藤間さんに初めて会ったのは19年9月。その3カ月ほど前、地元紙に出た小さな記事がきっかけだ。記事は、仮設住宅から退去しない住民に対し、宮城県が訴訟を起こすと伝えていた。藤間さんはその裁判の被告だった。

 石巻市につくられた仮設住宅は、被災地中最多の約7400戸。市は19年度中の仮設解体を目指し、退去を急いでいた。提訴当時仮設に残っていたのは藤間さんも含め2世帯だけ。もう1世帯は「特別な事情」で入居延長が認められていたが、藤間さんの入居期限は18年に切れていた。県や市は何度も期間満了を通知していたという。

 家賃がタダだから居座っている──。

 仮設住宅からの退去がピークを過ぎた17年以降、仮設に残る人に対して、同じ被災者からもそんな話を聞くようになった。だが、実際には皆事情を抱えている。声を聞こうと、彼を訪ねた。

 藤間さんが住んでいたのは、市内でも有数の大規模団地。だが彼以外は既に退去し、周囲は静まり返っていた。

「俺も早ぐ出たいけど行ぐどこないの」

 玄関先に出てきた彼はそう言った。

 震災前の自宅は被災したが、修理して何とか住むことはできる。母は自宅に残っているが、敷地の一部が道路の建設予定地になっており、自宅へ戻ってもすぐにまた引っ越さなくてはならない。市からは敷地の一部だけを買収する方針を示されたが、全体の買い取りを求めたところ話が止まった。災害公営住宅へ入りたいが、入居資格がない。数年前に大病を患って働けず、民間住宅は家賃が払えない。彼はそう主張した。

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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