「差別発言に対し、沈黙したら見逃したということ。笑ったら同調したということ。つまり、性差別を再生産する共犯者になります」
同調するどころか、その後擁護している人も出てきているので、世間の認識との乖離は深刻だ。
そもそも、森氏も二階氏も不用意な発言をすることが過去にたびたびあった。それなのになぜ、再び繰り返され、今回、一般市民が許容できる範囲を大きく踏み外してしまったのか。
発言した本人の資質に加えて、映画監督で精神科医の和田秀樹氏は日本社会のシステムの問題を指摘した。
「日本の組織は、いったん権力を握ったり、ポジションを得たりして、『実力者』になると、クビや降格にされにくいシステムなのです。長く組織にいた方が評価される年功序列の慣習には疑問を感じます。少なくともトップが固定化することに関しては、問題だと思います」
和田氏はシステムと表現したが、今回の騒動を見る限り、日本全体というよりは政治家が絡んだ組織の文化、長老には忖度すべきだというムラ社会の不文律のようなものだろう。今回、森氏は釈明会見の前に辞意を漏らしたが、周囲が慰留したので翻意したという報道や、森氏がこれまでスポーツ界に貢献してきたとして「続投」を求める声が公然とあるのは、ムラ社会の文化をよく表しているとはいえないか。
もちろん、誰も森氏の過去の功績までも否定するつもりはない。ただ、今回の発言は内容が不適切だったこと、その背景にある思想や考え方が現在の「一般常識」からかけ離れているのは明白。個人の思想信条は自由だが、五輪の組織のトップである限り、その大会理念にも責任を持つことが求められている。
今回、森会長の発言に真っ先に異を唱えたソウル五輪女子柔道メダリストで、JOC理事の山口香氏(筑波大教授)は、取材の際に、こんなことを言っていた。
「国際オリンピック委員会の委員を長年務めた岡野俊一郎さんの言葉が記憶に残っています。オリンピックを開催するということは、世界に窓を開くことなんだと。日本が世界を見ると同時に世界から日本という国をみてもらうということ。日本の風習の中にはいいところもあるが、世界と合わないところも見られてしまう。変わるべきところはかわるべきなのです」
今回の件に関して「オープンな議論を望んでいます」と話した山口氏。東京五輪・パラリンピック組織委は理事と評議員を集めた臨時の会合を今週にも開くという。会議の行方が注目されている。(AERAdot.編集部/鎌田倫子)