流通ジャーナリストだった金子哲雄さん(享年41)が肺カルチノイドで世を去ったのは12年10月。終活のプロでもあった哲雄さんの最期を見送った妻、稚子さん(53)は、その「夫婦じまい」についてこう語る。
【いつかくる夫婦じまいのために 伴侶と話しておきたいこと一覧はこちら】
「見事なぐらい悔いがないんです」
お互いを信頼し、絆が深く、思い合っていたからだと言う。
「死を前にした人が、死に向かってどう生きるのか。死ぬまでの時間をどう過ごしたいのか。伴侶が理解し、そして何があってもそれを受け止めることが大切だと思います」
稚子さんには過去に大切な人との苦しい別れがあって、それが哲雄さんの送り方に大きく影響を及ぼしたと話す。
「実父はがんで、夫の病気の発覚前に亡くなりました。でも私は本人が嫌がっていたのに『死なせたくなくて』抗がん剤治療を強要してしまった。そのせいか父はみるみる弱っていきました。父から嫌だと再度言われたときに、治療中止に賛同して、最期は在宅で看取りました。それを見ていた夫が、葬儀のときにポツリ。『稚ちゃん、僕死ぬんだったらおとうさんみたいに家で死ぬ』って」
哲雄さんの病気が判明したのは11年6月ごろ。
その時点で腫瘍が大きく、手術ができない状況だったが、病を公表せず、亡くなる前日の10月1日まで雑誌取材に応じたという。危篤から回復した最後の40日間で事務的な死の準備を集中して行った。
「もともと冠婚葬祭の金子、と言われていたほどの人ですから、実に楽しそうにやっていて『これって金子さんの葬儀の話ですよね?』と周囲から言われるほどでした」
会葬礼状の執筆から遺影選び、通夜で振る舞う料理の中身まで自分で決めた金子哲雄葬には1300人もの人が参列した。
稚子さんが一人になった後に困らないように、実に細やかな指示も残していた。自宅に公証人を呼んで公正証書遺言を作成した。稚子さんはその場には立ち会わず、のちにその内容を知ることになるが、自分の葬儀費用を記し「このお金で執り行うように」という指示のほか、死後の祭祀についても明記するなど、稚子さんへの配慮も具体的だった。