今でこそ仲むつまじい母子だが、出産当初、母は娘を愛せなかった。
「染色体異常があるかもしれない」
産んだその日に告げられて、由美さんは頭が真っ白になった。「ダウン症」という言葉が頭をよぎり、ショックで大泣きをした。赤ん坊のわが子を看護師に触るよう勧められても、「触らない!」と意固地だった。
産んだ翌日に、無理を言って退院した。
「他の元気な赤ちゃんの声が聞こえるのが、つらくてたまらなかったんです。『ここにはいたくない!』と言って、菜桜を置いて帰ってしまった。今では考えられないのですが、当時はパニックになって、現実を認めたくなかった」(同)
「ダウン症」と診断された上、食道がつながっていないことも分かった。ミルクをあげられず、胃ろうで命をつないだ。
「夢だと思っても、朝目覚めたら現実が待っていて、絶望する日が続きました。娘と向き合うこともしませんでした」(同)
その言葉通り、生後2カ月までの菜桜さんの写真は1枚もない。だが、生後2カ月半の時、由美さんの中で何かが変わった。
「抱っこをした時に、私の顔を見て笑ってくれた。それを見て初めて、『かわいい!』と思えたんです」
成長をブログに載せるために、写真を撮るようになった。娘に対するいとおしさは、歳月とともに増していった。とはいえ、
「小学校高学年ごろまでは、正直、普通の子だったらいいなと思うこともありました。『ダウン症の菜桜だからこんなにかわいいんだ』と思えるまでには時間がかかった」(同)
当初は周りの目が気になったという。出掛けるときは髪をツインテールにし、かわいい服を着せた。
「少しでもかわいい服や髪形をさせてあげたかった。最初は見栄もあったと思います。障害のある子だから、親が子どものおしゃれに気を使ってあげない、というのは嫌でした」(同)
当初は母主導であったが、菜桜さん自身がおしゃれに目覚めたのが9歳の頃。「世界ダウン症の日(3月21日)」のイベントで、ファッションショーに出演することになった。2日間ウオーキングレッスンに通って本番に臨んだ。黄緑色のかわいらしい衣装で笑顔を振りまいた。