では、宇髄以外の「柱」が、遊廓潜入をスムーズに行えたかというと、それもなかなか難しいだろう。捜査には「遊廓」のシステムへの十分な知識や経験が必須だったからだ。
宇髄天元は、鬼殺隊に入隊する前は「忍」だった。そのため、遊廓など「夜の街」についても知識があったと推察される。実際に遊廓で本格的な任務にあたる前に、宇髄は「俺が客として潜入していた」とも話している。
また、宇髄には「美しい妻」がおり、その妻も女性の忍(=くのいち)で、遊廓での諜報活動にぴったりの人材だった。彼らはその外見を生かして「遊廓」での任務にあたる。彼らは「自分の全て」を鬼退治・人助けのために「使う」のだった。なぜ彼らは、ここまでして、任務を遂行するのだろうか。
■「忍」としての苦難、「遊廓」という苦界
『鬼滅の刃』の設定は、大正時代である。宇髄が生まれた頃には、忍=忍者という生業は、すでに衰退・消滅期にあった。
<嘘じゃねぇよ 忍は存在する 兄弟は9人いた 15になるまでに7人死んだ>(宇髄天元/10巻・第87話「集結」)
この短いセリフからですら、宇髄が忍として、いかに苦難に満ちた半生をおくってきたのか推察できる。
<死ぬのは嫌じゃなかった そういう教育を受けてきたから 「忍」だから 特にくのいちなんてのは どうしたって男の忍に力が劣るんだし 命を賭けるなんて 最低限の努力だった>(まきを/10巻・第80話「価値」)
これは宇髄と行動をともにしている、女性の忍のセリフである。彼女たちもまた覚悟をもって戦っている。「心を殺す」ことに慣れている忍たちの苦難が、遊郭から逃げ出せない者たちの境遇と重なる。
■宇髄天元が「遊廓」で戦う理由
この「遊廓編」は、遊女、遊郭で働く者、忍といった、「社会の闇に潜まざるを得なかった」者たち同士の、悲しい戦いの物語である。親、大人、環境に翻弄され、苦難の半生を生きた者たちが、どんな地獄を見て、その後、どのように自分の運命にあらがおうとするのかが描かれている。苦界から脱却できた者、苦界の中で一生を終えた者。