人気俳優・松重豊さんと作家・林真理子さんが対談。「俳優のスキルを高めるため」という理由でコロナ禍に書いた本『空洞のなかみ』の話に始まり、トイレづくりに励んだバイト時代、蜷川幸雄さんや三谷幸喜さんとの交流秘話など、話はどんどん広がって──。
>>【前編/松重豊 京都での撮影苦労話「宿泊費も満額は出ないから連泊するごとに赤字に」】より続く
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林:エッセーを読むと、売れないころは建築現場で働いたり、地下鉄のトイレをつくったりなさったそうですね。これだけの身長とカッコよさがあったら、モデルさんにスカウトされたりしなかったんですか。
松重:いや~、そもそもの出発点が、俳優として売れることを前提として考えなかったんですね。僕はとにかく舞台をやりたかったんです。ほんとは音楽をやりたかったんですけど、自分には音楽の才能がなかったので、蜷川幸雄さんのところに入って舞台の勉強をしたんです。その中で、「この国では舞台で生計は立てられないんだ」ということに気がついて、映像もやるという流れで来ちゃったんです。だからモデルという選択肢は僕の中でまったくなかったですね。
林:ほぉ~。モデルよりもトイレをコツコツつくる道を選んだんですね。
松重:トイレづくりもおもしろい仕事でしたよ。きれいな服を着て、人前で歩いてというモデルより、この石をきれいに積んで並べるためにはどういうセメントの量で……ということを考えてるほうが、僕ははるかにおもしろい作業だと思いました。
林:松重さん、まだお若いんですよね。ご自分のこと「白髪のじじい」とか書いてらっしゃるけど、まだ50代じゃないですか。
松重:何年か前に白髪でやることにしたんです。俳優ってえたいが知れないというか、何者かわからない妖怪のような人のほうがいいと思うので、ふだんはこういう白髪のじじいでいます。だから死にかけたじじいの役もやれるし、「孤独のグルメ」も黒いスプレーですぐ黒い髪になれるし。
林:年齢は松重さんより私のほうがずっと上ですけど、私が大学生のころは、唐十郎さん、寺山修司さん、蜷川幸雄さんたちが出てきて、お芝居がカルチャーとして若い人の心をとらえた時代でした。