安倍晋三首相は1952年にサンフランシスコ講和条約が発効した4月28日を「主権回復の日」として記念式典を開くことを決定した。この日を「日本から切りはなされた屈辱の日」と沖縄が反発しているのに、である。同じ首相が、3月22日には、米軍普天間飛行場の辺野古移設のための埋め立てを沖縄県に申請した。辺野古移設に対して沖縄全県を挙げて反対し続けているにもかかわらず、である。
記念式典を開いて祝う「主権回復」とは一体何なのだろうか。
その一方で安倍は、環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉参加に向けた日米合意を成立させた。辺野古移設や日本のTPP参加が米国にとってきわめて歓迎すべき事態であることは多くの識者が認めているところだ。むしろ、この国の主権者は米国なのではないか。こんな疑問もわいてくる。
星条旗がはためく沖縄島の米軍北部訓練場。そこに接する東村(ひがしそん)高江地区の、ある「土地」を訪ねた。周りには樹木が隙間なくびっしりと生い茂っているのに、その場所は、周囲とはまったく異なる貌(かお)を見せていた。
1千平方メートルはあるだろうか。平らな赤土が楕円形状に広がり、ほとんど植生はない。太陽の光を浴びた赤土の上に、ぽつぽつとまばらな影を落とすのは高さ30センチほどの小さな松の木だけ。まるで人工的に造られた空き地のようだった。
案内をしてくれた地元の人の説明を聞いて驚いた。その裸の土地は、1960年代に米軍から返還されて以来、そのままの状態だというのだ。つまり、ほぼ50年もの間、沖縄の太陽の恵みを受けながら、この土地だけはなぜかほとんど不毛の状態にあるということだった。
「何十年という年月をかけて松はこれだけしか育っていない。あまりに不自然だ。沖縄が米軍のあらゆる兵器の貯蔵庫になり、訓練場になっていることを考えると、この土地に何かがあったとしか考えられません」
案内してくれた屋島博一(67)は、琉球大学農学部出身。この不毛の土地の謎を推理する中でたどり着いた結論は、ベトナム戦争で使われ、先天的な奇形など重い障害と悲劇を生み出した「悪魔の化学兵器」枯れ葉剤が、ここで散布されたか貯蔵されていたかしたのではないか、ということだった。
疑われる強い証拠がある。米軍が沖縄の北部訓練場などで枯れ葉剤を使用したのではないかと、実は以前から指摘されていた。100人を超える米軍元将兵が沖縄での枯れ葉剤被害の救済を米政府に訴え、そのうちの何人かが枯れ葉剤散布などを自ら証言している。2007年ごろには、沖縄の自然保護団体が、体が溶けたような奇形の両生類や爬虫類が、北部訓練場の隣接地域で多く発見されていると報告もしている。
さらに、2011年9月には、米陸軍の元高官が、「沖縄タイムス」の取材に、1960年から約2年間にわたり北部訓練場内とその周辺一帯で強力な枯れ葉剤「オレンジ剤」を試験散布していたと証言している。それによると、「気候や立地状況などがベトナムのジャングルに似ていたことから、実戦を想定した」とのことだった。
しかし、米国防総省は今年3月8日、沖縄での枯れ葉剤散布や貯蔵を全面否定した。米国の回答を受けた日本政府には、実態調査に乗り出す姿勢は微塵(みじん)もない。
1969年7月18日、米紙「ウォールストリート・ジャーナル」は、沖縄の米軍基地で猛毒の致死性ガス、VXが漏れて米兵25人が入院したというスクープ記事を掲載した。米国防総省はすぐに、漏出したのはVXではなく神経ガス、サリンであると発表した。同20日の朝日新聞は「沖縄米軍消息筋」の情報として、沖縄は極東最大の化学兵器貯蔵基地であることを明らかにした。
(文中敬称略)
※週刊朝日 2013年5月3・10日号