6日の昼下がり。市民有志が東京・渋谷のハチ公像の前に集まって、具志堅隆松さんのメッセージをつないだ(撮影/渡辺豪)
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6日の昼下がり。市民有志が東京・渋谷のハチ公像の前に集まって、具志堅隆松さんのメッセージをつないだ(撮影/渡辺豪)

 辺野古新基地の埋め立てに、沖縄戦の戦没者の遺骨が多く残る本島南部の土砂が使われる見通しになった。これに反対する沖縄戦遺骨収集ボランティアの男性らがハンガーストライキを敢行し、3月6日、その声が東京・渋谷にも響いた。思いは「本土」に伝わるのか。

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*  *  *

 沖縄で暮らしていたとき、沖縄の人たちの影は県外出身の自分よりも濃いように映った。沖縄の人たちは、足裏が地面としっかりつながっているようにも感じられた。

 なぜだろう、とずっと考えていた。

 もちろん気のせいなのだが、こう考えると腑に落ちた。

 先祖代々この土地にずっと根をおろして生きてきた人たちと、そうでないよそ者の自分との違いが、ある種の「引け目」となってそんな錯覚を生んだのかもしれない、と。

 しかし沖縄には、しっかり根を張っている移住者も少なくない。私が感じた「引け目」は何が原因だったのだろう。

 沖縄で「先祖」というとき沖縄戦を抜きには語れない。沖縄戦を生き抜いた祖母や祖父、あるいは曽祖父や曾祖母がいたから、今自分がこうして存在していられる。その先祖の誰一人欠けても、自分はこの世に生を受けられなかった。そんな意識が、口にするかどうかはともかく、私が出会った多くの沖縄の人たちには根付いていた。

 言うまでもなく、これは沖縄や沖縄戦だけに当てはまるものではない。戦争に限定しても、日中戦争と太平洋戦争を合わせた日本人犠牲者は民間人約80万人を含む約310万人に及ぶ。しかし、県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦、とりわけ軍民が混在した状態で激戦地となった沖縄本島南部では、一家全員が亡くなる悲劇も決して稀ではなかった。

 沖縄戦はなぜおきたのか。

 本島南部が住民を巻き込む激戦地となる要因を招いた日本軍の「南部撤退」はどんな経緯で判断されたのか。そうしたことを少しずつ学ぶにつれ、沖縄戦を越えて生をつないできた沖縄の人に対し、戦争や戦闘を強いた側の日本本土で生を受けた私は「負い目」を感じずにはいられなくなった。こんな考え方は間違っているのかもしれない。だが私にとってはそれが、沖縄で「引け目」を感じる要因の一つだった、と思う。

 沖縄には今も、多くの戦没者の遺骨が未回収のまま残る。戦死したのは沖縄にルーツのある人だけではない。沖縄戦には日本全国だけでなく、台湾や朝鮮半島などからも兵士や軍属として集められ、亡くなった方たちがいる。もちろん「敵」だった米軍兵士の遺骨も眠る。

 そうした遺骨を分け隔てなく敬意をもって発掘し、弔ってきたのが、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さん(67)だ。活動歴はもう40年近くになる。具志堅さんらが、沖縄県庁前で3月1日から始めたハンガーストライキがきょう、最終日の6日を迎えた。

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体を張って訴えるしかない…