
アレックス・カーが近著『ニッポン巡礼』で訪ねたのは、観光地ではない、知る人ぞ知るかくれ里だ。オーバーツーリズムの時代からアフターコロナへ、旅の意味が変わるという。AERA 2021年3月22日号から。
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――著書『ニッポン巡礼』の冒頭に「ここで紹介する場所には、ぜひとも行かぬよう」「心からのお願い」を記した。
一種のブラックユーモアですが、コロナ禍の直前まで続いていた観光ブームへの批評を込めました。本には写真もたくさんありますが、ガイド的な情報はあえて入れませんでした。本来、旅の楽しみはSNSなどで不特定多数にばらまかれる情報ではなく、自分の気に入った場所を、信頼できる人にだけ伝え、大切にしていくことにあると思うからです。
――近年はオーバーツーリズム(観光過剰)の問題が、世界中で深刻化していた。
「インスタ映え」する場所が発信されると、秘境でも静かな山里でも、人がどっと押し寄せ、それに伴って足元が舗装され、看板やガードレール、さらに土産物屋や駐車場などが次々とできて、元の魅力が失われる。そんな場面がたくさんありました。
■都市の近くこそ穴場
――秋田の羽後町や阿仁根子、鳥取の八頭町、智頭町、東京島しょ部の青ケ島のほか、神奈川の三浦半島や滋賀の大津など、都市に近いところも行き先にした。
秘められた歴史と重要な文化が残っていても、忘れられている場所が日本にはまだいたる所にあります。都市の近くは行きやすいのに、訪れる人が意外と少ない。オーバーツーリズム時代の穴場ですね。
――なぜ、「観光」ではなく「巡礼」という言葉を使ったのか。
古美術、骨董の大先達だった白洲正子さんが1971年に著した『かくれ里』という本へのオマージュがまずあります。当時は観光ブームの幕開けでしたが、彼女は金閣寺、銀閣寺などはあえて避け、人々に知られていない土地を巡り、「かくれている」ものから日本美の神髄を探りました。私自身、今まで日本中を回ってきた中で、それぞれの土地の歴史と文化に触れるたびに、尽きぬ感動を覚えます。人間の力の及ばない何かに心打たれる旅は、まさしく「巡礼」です。