市場における重要性を失いつつあるグラミーが、韓国を遥かに超えてファンベースを拡大し続けるBTSのファン層に魅力を感じていることは、これまでBTSをプレゼンター、ゲスト出演パフォーマンスと少しずつアメリカのメインストリームに紹介してきた流れからも明らかだ。だが、今回問題視されたのは、トリに配置したBTSのパフォーマンスを、落選が明らかになった後も、放映中CMのたびに「アップ・ネクスト」と宣伝に使い続けたことだ。これはさすがにグラミーが視聴率を上げるためにBTSを利用したと、一部のメディアからも非難された。カルチャーメディアのリファイナリー29は、ライブストリームの視聴者数が、グラミー自体のそれを上回ったことを指摘していた。結果として、BTSは新たなファンを獲得しただろうが、グラミーがそれをできたかどうかには疑問が残る。
ここのところ、アジア人に対するヘイト事件の増加によって、アジア系アメリカ人が、人種問題のトピックとして活発に議論されるようになった。黒人、ヒスパニック、ネイティブアメリカンと同様、アメリカのメインストリーム社会で占める割合は、実際の人口規模より低く、そこに構造的な差別がある。今、起きているアジア人差別問題をめぐる会話が、一周遅れのグラミーに反映されるにはまだしばらく時間がかかるだろう。
■アジア人の可能性
在米アジア人の一人として、「BTSがグラミーを取れないのはアジア人だからか」という質問に複雑な気持ちになるのは、音楽業界を見回したときに、スポットライトを浴びているアジア系アメリカ人のアーティストがあまりに少ないという現実があるからだ。BTSのパフォーマンスが、アジア人の可視性を高めたことは間違いない。同時に、グラミー賞にとってはBTSの存在が、未来の方向性を問う結果にもなったと思う。アメリカ音楽の賞にとどまり続けるのか、国外の多様な市場とつながっていくのか、それが賞の未来を決めるだろう。(文筆家・佐久間裕美子)
※AERA 2021年3月29日号