延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー
延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー
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多くの後輩に慕われた村上“ポンタ”秀一さん (c)朝日新聞社
多くの後輩に慕われた村上“ポンタ”秀一さん (c)朝日新聞社

 TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。ドラマーの村上“ポンタ”秀一さんについて。

【写真】多くの後輩に慕われた村上“ポンタ”秀一さん

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「最近の若いミュージシャンって、テクニックは大したものなんだろうけど、どうも個性がね」

 熾烈な人生を送ったテナー・サックスの巨人、スタン・ゲッツの評伝(『スタン・ゲッツ 音楽を生きる』)を訳した村上春樹さんがそう呟いたのを思い出したのは、ドラマーの村上“ポンタ”秀一さんの訃報に接したからだ。彼は無個性の対極だった。

 ラジオの収録で何度かお目にかかったことがある。もう何年も前、ライブ収録で局に来たポンタさんはクローズドの細身のジーンズを穿き、痩せていて、刃物みたいだった。休憩時間にスタジオ脇の公衆電話から誰かに連絡をしていた。スマホどころか携帯もない時代。挨拶しようにも、凄みがあり過ぎて近寄れなかった。

 二度目は都内のホールで阿川泰子さんのライブを録った時だ。本番前、フロアー・ディレクターだった僕はインカムでディレクターと連絡を取っていたら、いきなりポンタさんがドラムを叩き始めた。背後から観ると縦横無尽に手足が動き、複雑なリズムが次々に繰り出される。上体はぶれず、微動だにしない。千手観音みたいな姿だった。

 1951年、兵庫県西宮市に生まれたポンタさんはオーディションを経て赤い鳥に加入。脱退後は渡辺貞夫、山下洋輔、後藤次利とセッションをこなし、山下達郎、沢田研二、長渕剛、矢沢永吉など多くのミュージシャンのライブやレコーディングに参加、レコーディング楽曲は1万4千曲を超える。ニューヨークではマイルス・デイヴィスと交流、世界的ドラマー、スティーヴ・ガッドと親友にもなり、名前を隠しレコーディングの代役を務めた。

 音楽プロデューサーでギタリストの佐橋佳幸君とのF‌M番組(『さはしひろし』毎週土曜19:30、インターFM)で、ポンタさんを偲び渡辺香津美さんのライブアルバム『KYLYN LIVE』(六本木PIT INN、79年)を聴いた。

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