母の言葉に従いミャンマーを後にした。ウィンチョさん同様、多くの若者が外国へ去った。以来32年間、平和な日本で暮らしている。祖国のことは片時も忘れたことはない。もう、あんなことは起きてほしくない。だが、心配が現実になった。
ウィンチョさんはクーデターが起きてから証拠を残すため、インターネットやSNSであらゆる情報を集め、記録している。もっと活動を大きくしなければと考え、日本に住むミャンマー人の若者たちに声をかけた。
「私一人でやるには限界がありました。若者はITスキルもあるし、フットワークも軽い。私にはミャンマーとのネットワークも、経験もある」
じつはウィンチョさんは飲食店で働きながら、妻のマティダ・ウィンチョさんと、日本に来たミャンマーの若者の世話を長年続けている。日本の社会の制度について、生活についてなど、困ったことがあると相談に乗る。
「私たちミャンマーの若者にとってウィンチョさん夫妻は日本のお父さん、お母さんです」
と日本の建設会社に勤めるコンセットさん(28)。
写真家として活動するオガ ミン アウン タンさん(34)は「政治についてはウィンチョさんに厳しく指導されました」と話す。二人ともウィンチョさんとデジタルツールで軍と闘っているという。
ウィンチョさんらの闘い方はこうだ。
ミャンマー軍が国民を攻撃する映像や写真をできるだけ多く入手する。軍の暴力行為を一方向だけでなく、あらゆる角度や方向から撮影した映像を手に入れ、そして狙撃者、指揮官の衣服の色、軍の肩章から階級を特定する。5~6人のグループで調査し、時折、ミーティングを開く。そして得られた映像を世界中に発信していく。同時に日時・場所などをデータベース化している。後に裁判を起こして罰するためだと強く語る。
ウィンチョさんの若者への思いは強い。2010年、ミャンマーで総選挙が行われたのを機に、祖国の未来のためミャンマーに住む若者たちのネットワークづくりをはじめた。会ったこともない、見たこともないミャンマーに住む若者を探し、メールやSNSでコンタクトを取った。