西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「新しい生命の発見」。
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【多田富雄】ポイント
(1)脳梗塞で半身不随になり一切しゃべれなくなった
(2)元気だったころの方が生命は衰退していたと気づく
(3)新たに生まれてくる新しい人に期待をかけている
新型コロナウイルスについて専門家の方々が様々に意見を述べられていますが、それを聞くたびに思うのは、多田富雄先生が生きていらしたら、どうおっしゃっただろうかということです。免疫学者の立場から、何か語られたと思うのです。
多田先生の『免疫の意味論』(青土社)は私の座右の書のひとつです。日本統合医療学会のシンポジウムでご一緒したときに、多田先生が「オルタナティブ・メディスン(代替療法)」について「エピ・メディスン」と呼ぶことにしたらどうかと提案されたことには感銘を受けました。「エピはラテン語で“上”を意味します。医学の位置取りとしては、からだを対象とする西洋医学よりも、いのちを対象にするオルタナティブ・メディスンの方がより上位になりますから」とおっしゃるのです。その慧眼(けいがん)に脱帽しました。
その多田先生が脳梗塞(のうこうそく)で倒れられたのは、2001年のことです。右半身が完全に麻痺(まひ)。一切しゃべれなくなり、嚥下(えんげ)障害も起きました。それから亡くなるまでの9年間、すさまじい闘病生活を送りながら、著作活動を続けられたのです。
「鈍重なる巨人」という原稿があります。鶴見和子さんとの往復書簡集『邂逅(かいこう)』(藤原書店)に序文として収録されています。脳梗塞から生還されたいきさつが語られていて、そのなかにこういうくだりがあるのです。
「ある日のこと麻痺していた右足の親指が、ぴくりと動いたのです。予期しなかったことで、半信半疑でした。(中略)はじめての自発運動だったので、私は妻と何度も確かめ合って、喜びの涙を流しました。自分の中で何かが生まれている感じでした」