姜尚中(カン・サンジュン)/東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史
姜尚中(カン・サンジュン)/東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史
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 政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。

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 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会が看護師500人の派遣要請、さらにはスポーツドクター200人の募集を行いました。いくら医療現場が逼迫(ひっぱく)しようとも、五輪開催の方向性は変わらないようです。

 確かに、あたかも日本は成功しているかのような空気が漂っていた時期もありました。1度目の緊急事態宣言の解除後に、安倍晋三前首相はこれを「日本モデル」と言いましたが、これはコロナウイルスに対する国民の恐怖心と律義な日本の国民の順法精神が第1波をなんとか抑え込んだだけです。いわば僥倖(ぎょうこう)でした。

 あれから1年、感染拡大は止まりません。台湾や韓国、豪州やニュージーランドなどは感染を抑え込んでいますが、なぜ日本はこのようなあいまいな感染防止策を取ってきたのか。そこには間違いなく五輪開催が大きな桎梏(しっこく)となって立ちはだかってきたからだと思います。

 振り返れば、安倍内閣の時に五輪を誘致し、開催に向けて突き進んできました。東京電力福島第一原発の「処理水」の海洋放出の決定を見ても分かりますが、刻々と時間だけが過ぎ、対策らしい対策も何一つ行いませんでした。結局、安倍内閣の時代のツケを大番頭であった今の菅義偉首相がそのまま受け継ぎ、国民に押し付けています。

 国のリーダーがすべきことは「決断」です。そのためには決断のタイミングを見失わず、決断すべき時を見定める見識が必要です。私は、これこそがリーダーの最大の資質だと思います。それ以外は、人格高潔だとか、正直者だとか、パンケーキが好きかなんてことは、どうでもいいことです。

 豪州は1日の新規感染者40万人を超えるインドからの入国を禁止し、違反者には最大で禁錮5年の刑を科すことを発表しました。選手を日本に送り出せない国、日本に選手を送るべきではないという国も出てくるでしょう。選手団に感染者が出た場合はどうでしょう。今回の五輪は世界を団結させるというよりも、むしろ分断させるセレモニーになりかねません。この夏の五輪開催にこだわるという事態が、まともな政治的判断とは思えません。ここは正気を取り戻して、決断を下すべきです。

姜尚中(カン・サンジュン)/1950年本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、現在東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍

AERA 2021年5月17日号