イザベラ・バード『日本奥地紀行』(高梨健吉訳、平凡社ライブラリー)は、1878(明治11)年に女性の英国人旅行家が東京から北海道まで旅行した体験を日記風に記したものだ。

 こんな旅行ができたのも、江戸時代に確立された街道網のおかげだった。だが東海道などとは異なり、東北地方では外国人が泊まったことのない宿場町も少なくなかった。秋田県の白沢もその一つで、宿では男たちが「大館から能代までのその日の旅が、道路で行くのがよいか川で行くのがよいか」をめぐり、大声で4時間も議論を交わしていた。女たちは不作法な言葉を使って「人の噂話やむだ話」をしていた。

 バードは、日本人が「ていねいで勤勉で文明化した」ことを認めながら、「何世紀にもわたってキリスト教に培われた国民の風俗習慣」と比較せずにはいられなかった。キリスト教と文明をセットで考えるバードの眼は、まぎれもなく英国人のそれだ。

 マーク・ゲイン『ニッポン日記』(井本威夫訳、ちくま学芸文庫)は、米国人ジャーナリストが敗戦直後の日本の実態を観察した日記である。

 1946(昭和21)年3月、ゲインは昭和天皇に同行して原宿から高崎まで御召列車に乗り、風景を眺めた。「どの駅でも駅員の全部が硬直した気をつけの姿勢をとっていたし、踏切りには黒山の群衆──旗を手にした村民、子供、女たちが遮断機に固く身を押しつけていた。畑の百姓は顔をあげて列車をながめ、たちまち腰低く最敬礼するのだった」

 沿線の人々が天皇自身を見ることは決してなく、磨きあげられた列車を見ただけで反射的に最敬礼した。江戸時代にケンペルが江戸城本丸御殿で体感した不可視の権力を、ゲインもまた列車に乗りながら感じたのだ。

週刊朝日  2021年5月21日号