作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、日本の性文化について。「全裸監督」についてのコラムの反響から考えたことをつづります。
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「全裸監督 シーズン2」についてのコラムを読んだ女性から、感想が届いた。コラムでは、数十年も前にAVに出た女性たちが、インターネット時代になり「忘れられる権利」を奪われ、簡単に検索されてしまう過去におびえながら暮らしていることを書いた。
私に感想をくれた女性は、1980年生まれ、地方の温泉街に育ったという。彼女が幼いころ、近所のお姉さんがAVに出たことが近所で囁かれるようになった。撮影場所はお姉さんが両親と暮らす家だったという。どういう経緯でそうなったのかは分からないが、お姉さんの父親自らが監督や撮影スタッフにお茶などを振る舞っていたことなどを、大人たちがヒソヒソと語るなかで知った。貧しい家だった、きれいなお姉さんだった。小さな村のこと、誰もがその「作品」をこそこそと見ただろう。私のコラムを読みながら、彼女はそのお姉さんが出たという作品のタイトルやそのお姉さんの「芸名」が古い記憶からよみがえってきたという。
「ゴールデンウィークに久しぶりに実家に帰ったときに、お姉さんを道で見かけました。私のことが誰かは分かったと思うのですが、言葉をかわすことなく、むしろ警戒心をむき出しに厳しい目でにらんできました」
にらむようにこちらを見つめてきた女性はもう60代前半だが、あれからずっと街を出ることもなく、父親がスタッフにお茶を出す傍らAV撮影が行われた家で暮らしてきた。両親は他界しているが、その女性のたたずまいの厳しさから、生活が決して楽なものではないことを彼女は感じたという。
彼女が育ったその温泉街には、80年代当時、たくさんのフィリピン人女性が住んでいた。学校に通う道、女性たちが集団で暮らすアパートの前にいつも猫がいて、ときどきおやつをあげることもあった。ある日、持っていた駄菓子を猫にあげていると、後ろから「いつも、ねこ、かわいがって、ありがと」と声をかけられた。起きたばかりという感じのフィリピン人のお姉さんだった。「いつも」という、お姉さんの言葉の調子が今も残っているという。見てくれてたんだな、と思ったのだ。その後、その女性は猫を抱き上げて「いいこに、してた?」と言ってアパートに戻っていった。