下重暁子・作家
下重暁子・作家
※写真はイメージです (GettyImages)
※写真はイメージです (GettyImages)

 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、句会について。

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<六月を奇麗な風の吹くことよ>

 ふと呟きたくなる梅雨近い晴れ間、台東区・根岸の里にある子規庵を訪れた。ここに多くの門弟が集った。今もあるのは子規が使っていた机や硯だが、病が悪化してからは、ほとんどこの部屋から出ず、庭の自然を観察した。辛い日々の中で思いだすのは、かつて滞在した須磨を吹き抜けた梅雨の晴れ間の風だったか。

 そして、縁に続く糸瓜(へちま)の棚の花が咲く頃、苦しい息の下から一句。

<糸瓜咲て痰のつまりし仏かな>

 辞世の句をしたためながら、まだ自己を冷静に見ている。九月十九日のことだった。

 子規忌とも糸瓜忌とも獺祭(だっさい)忌ともいわれる。子規は別号を獺祭書屋(しょおく)主人と称した。

「獺祭」とはかわうそのこと。とった魚をきれいに並べるさまが、書物を身の回りに広げておくのに似ていることからそう呼ばれたという。

 コロナの日々が続き、一番淋しくなったのは、句会が休みになったことだ。常連としては月一回の「話の特集句会」、春夏秋冬に行う日本旅行作家協会有志のつくし句会、さらに東京やなぎ句会のゲストとしても一年に数回参加していた。

 そのたびに日頃鈍った感覚をとぎすませて句を作る楽しみがあった。

 まず、「話の特集句会」は高齢者が多いので休会になった。毎回赤坂や四谷の小さな料亭でおいしいものを食べ、親しい人とのおしゃべりに花が咲いた。それも五人以上だと密になり、できなくなった。東京やなぎ句会にゲストとして呼ばれることも少なくなった。

 そのたびにいただく短冊もなくなった。唯一、つくし句会だけは、メール句会にして、幹事が席題を三つ出し、メールで三句提供し、句がそろったところで選句し、短く批評する。それだけでも楽しい。

 メール句会は私が長らく続けているNHK文化センター下重暁子のエッセイ教室の有志によっても、毎月コロナと関係なく熱心に行われている。私の名から取って「あかつき句会」。一年に一度は顔を合わせていたのが出来なくなった。

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下重暁子

下重暁子

下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中

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