官僚の父と小劇場の女優だった母との間に生まれた亜星さん。幼少期から音楽が大好きだった (c)朝日新聞社
官僚の父と小劇場の女優だった母との間に生まれた亜星さん。幼少期から音楽が大好きだった (c)朝日新聞社
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「僕たち世代はテレビと共に大きくなって、テレビと共に終わっていくのかな」

【写真】「寺内貫太郎一家」で共演した小林亜星さんと浅田美代子さん

「北の宿から」などで知られる作曲家で、俳優としても親しまれた小林亜星さんが5月30日、心不全のため東京都内の病院で死去したことを、所属事務所などが6月14日、明らかにした。享年88。葬儀は近親者で行われた。

 冒頭は、本誌2018年9月28日号で、亜星さんが語った言葉だ。数千曲ともいわれるCMソングを作曲したほか、都はるみさんが歌った「北の宿から」が大ヒット。アニメ「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」の主題歌など、ポップスから歌謡曲、CMソングやアニメソングなど、幅広い分野で世代を超えて親しまれる音楽を多数残した。俳優としても活躍し、向田邦子さん脚本のドラマ「寺内貫太郎一家」の頑固おやじぶりが国民的人気を博した。

「小林さんは、大衆が喜ぶ大衆のための音楽を作った人。それまでの伝統的な日本の音楽を、洗練されたものに一変させた」

 音楽評論家の田家秀樹さんは、亜星さんの音楽についてこう分析する。亜星さんは05年、田家さんがインタビューした際に、作曲家になろうと思ったころを振り返って「ダサい音楽は全部自分の手で塗り替えてやると思った」と話したという。

「“ダサい音楽”とはつまり、古臭い音楽や大衆や子どもを見下したような音楽のこと。特にジャズをやっていた人にありがちな、ある種の“上から目線”がなく、目線はあくまで大衆だった。それだけ聞き手を信じていたのでは」(田家さん)

 父方の祖父が医師で、「将来は医師になれ」と言われて育った亜星さん。慶大医学部に進学し、父に内緒で経済学部に転部。卒業後は日本製紙に就職するも、音楽の道に進むことを決断し、進駐軍やキャバレーでジャズを演奏し始めたのがキャリアのスタートだった。ジャズに詳しい音楽評論家の原田和典さんは言う。

「亜星さんの音楽には、ジャズを始めとしたアメリカンミュージックへの憧れを強く感じます。メロディーもリズムもあか抜けているのに、どんな音楽も親しみやすく聞こえるというマジックは亜星さんならでは。豪快な巨漢のおじさんが、こんな洒落た音楽を作るのかというギャップもほかにない魅力でした」

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