初めて“大都市”で迎えた2015年は、開幕から1番・レフトに座っていきなり9試合連続安打。6月20日の時点で、打率.317はナ・リーグ6位にランクされ、その4日前に発表されたオールスターファン投票の中間発表では外野手部門で3位に食い込むなど、メジャーでは初の球宴出場も期待されていた。

 しかし、その20日の試合で右足に死球を受け、腓骨骨折で故障者リスト入りすると、復帰から間もない8月9日の試合で今度は頭部に死球を受け、再び戦線離脱。2度の故障禍が響いてこの年は93試合の出場に留まり、メジャー4年目で初めて規定打席を逃す結果となる。

 そのオフに再びFAとなり、翌2016年はア・リーグのシアトル・マリナーズでプレー。前半戦は打率.245と苦しみマイナー降格も味わったが、後半戦に限ればア・リーグ2位の打率.339と巻き返し、シーズンでは打率.283と、またしても過去4年と遜色ない数字を残してみせた。

 そこまではブルワーズを皮切りにナ・リーグの球団とア・リーグの球団を交互に渡り歩いた青木だが、そのオフにマリナーズからウェーバーにかけられると、同じア・リーグのヒューストン・アストロズが獲得。メジャー6年目の2017年は、5球団目のユニフォームで迎えることになる。

 主に9番・レフトで、4月は打率3割をキープ。6月11日のエンゼルス戦で日米通算2000安打を達成し、同30日のニューヨーク・ヤンキース戦では、敗戦処理で初めてメジャーのマウンドに上がった。チームは4月半ばからア・リーグ中地区の首位を独走。自身にとって2度目のポストシーズン進出も見据えていた矢先、トレード期限の7月31日にトロント・ブルージェイズへの移籍が決まる。

 まさに寝耳に水のトレード。だが、青木の“ジャーニー”はまだ終わらない。8月下旬にはそのブルージェイズのロースターから外れて自由契約になると、今度は同じア・リーグ東地区のニューヨーク・メッツが獲得する。

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もっと評価されるべき青木の成績