人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、笑いの質について。
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「徹子の部屋」が四十五周年を迎えて、先日特別番組が放送された。
黒柳さんとは、私がNHKでアナウンサーだった頃から、六十年のつきあいになる。
当時NHKは今の日比谷シティにあった放送会館にあり、小ぶりだが堂々とした建物だった。「内幸町二の二」。何千回口にしたことだろう。テレビが始まって、試行錯誤ながら制作者も出演者も情熱に燃えていた。
個性と才能豊かな人々が集っていて、テレビの黄金期が始まっていた。
「ヤン坊ニン坊トン坊」などのドラマ、「夢であいましょう」をはじめとするバラエティ、いつも黒柳さんの姿があった。
彼女はNHK専属のテレビ女優第1号、私はアナウンサーで、時々すれちがった。なにしろドラマもバラエティも教養番組もナマだったのである。必ず本人がその場にいるわけだから。
四十五周年特別番組は、明石家さんまさんを迎えて、吉本をはじめとするお笑い芸人が次々登場して、黒柳さんの前で芸を披露する。ところが、何をやっても黒柳さんの口は結ばれたまま、一度も笑うことがない。必死で笑わせようとすればするほど……。芸人さんを次々紹介するさんまさん一人が笑いころげている。
そのギャップが面白かった。かく言う私も、申し訳ないが何一つ笑えなかった。
「どこが面白いの?」と聞いてみたくなる。
これを世代の違いと言ってしまっていいのだろうか。笑いの質が変わってしまったのか、真剣に考えてしまった。
だいぶ前から、瞬間芸という笑いが流行っていて、笑いに意味など必要がなくなった。意味や理屈などいらないが、やはり面白くないものは笑えない。
黒柳さんは今活躍中の芸人さんたちとのおつきあいもするし、私もたまにバラエティで一緒になる。吉本などの芸人さんたちの寸時も息を抜かぬ切磋琢磨ぶりを見ていて、感じることも多く、お笑いブームも当然と思えるし、人材が集まる理由もわかるのだが、おかしくないものは笑えない。