1年目に大輔と2人で食事に行った記憶はない。遠回りしてでも自分の頭で考えてほしかったし、何より従来の枠組みにとらわれてほしくなかった。5月にオリックス・イチローと初対戦を迎える前に「お前の対戦のために戦っているわけではない。チームの勝利だ」と話したこと。そして、スコアボードの球速計時を気にしていた時に「スピード表示を見るな」と注意したことくらいかな。
高卒1年目で夏のシドニー五輪アジア予選の日本代表でも柱として活躍した。今の侍ジャパンなら、新人選手の体力を考えて球団が止めるだろう。だが、私は球界のためなら、と考えた。大輔ほど、太い高卒1年目を経験した選手はもう出ないだろう。彼は150球を超えたって、1度も自分から「代えてください」と言ったことはなかった。
身長は1メートル82。体は決して大きくない。だが、彼の打者に向かっていく姿勢、ピンチでのギアチェンジ、そして馬力は図抜けていた。大谷翔平(エンゼルス)、ダルビッシュ(パドレス)ら体の大きい選手は、大輔ができたこと以上のことができるはずである。その意味でも、大輔のやってきた功績は大きい。日本に戻って活躍できず、ファンから「給料泥棒」とか言われているのを聞く。プロ選手なら批判は仕方がない。ただ、彼が残した足跡は、しっかりとたたえてほしい。私の願いである。
07年のワールドシリーズ。ロッキーズの松井稼頭央(現西武2軍監督)と大輔が対戦した。その試合を見られたことが、私の人生の宝物になっている。本当に素晴らしい選手と私は出会うことができた。
最後に。大輔が経験したものを必ず野球界に還元してもらいたい。大輔にしか見えなかった景色というものが必ずある。それを共有してもらいたい。それが、私から大輔への唯一のお願いである。
東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝
※週刊朝日 2021年7月23日号より抜粋