こんなことを書くと、この原稿の担当の鮎川さんは「そんな意欲も湧かない文章は、いただきかねる」と、腹を立てるかもしれない。でも、決していい加減になんか書いたことはなく、結構神経質でメンドウなヨコオさんに、すらりと受け取ってもらえるよう、文章を書いています。

 今度のヨコオさんのお手紙の中の岡本太郎さんの意欲の説明の描写は、思わず笑ってしまいました。あんまり、ありし日の太郎さんの様子にそっくりだったからです。

 今、思い出せば、あれは、ちょうど、前の東京オリンピックの後のことで、太郎さんの「太陽の塔」が制作中でした。その頃、私はかの子の伝記を書き、太郎さんと親しくなり、よく家に呼ばれたり、自分から遊びに行ったりしていました。いつでも若い学生が、半裸で、庭でオブジェを作っていました。その横で烏のガア公が飛んだり、鳴いたりしていました。

 東京女子大の後輩の平野敏子さんが、太郎さんの優秀な秘書として、同居していて、太郎さんの名文のすべてを書いていました。誰の目にも、平野さんは秘書というより、太郎さんの優秀な妻女としか見えませんでした。

 そんなある日のこと、太郎さんが私に話しかけました。

「きみも、そろそろうちへ来れば? 平野くんの仕事が多くて大変なんだよ。いつも和服だから畳がいいかい? 四畳半と六畳、どっちがいい?」

 私はあわてて、やっと作家として踏み出したばかりだから、先生の手伝いは無理だと断ると、「バッカだなあ。つまらない小説で、わずかな原稿料もらって、何になる? それより天下の天才の岡本太郎の秘書として後世に名を残す方が、ずっと素晴らしいのに!」

 と叱られました。あの時、私の意欲が太郎さんの秘書にちらりとでも向いていたら、どうなっていたことでしょう。「太陽の塔」を通り過ぎる度、私は今でもちらりとそのことを想い出します。では、また。

週刊朝日  2021年7月23日号

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