個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。今回は、「演技派俳優」という表現について。
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オーノー。
いや~もうね、ホントにもうね、後悔してるんです、ホントに心底から後悔してるんですよ。
ちょうど1カ月前、僕はこんなツイートをしました。
『以前、テレビである俳優さんを紹介するのに「演技派俳優」とのテロップ。正直ここまできたかと思った。演技のプロが俳優なんだよ。はるうる、ひきこもり先生、ファブル2、6月の作品、どうか全部観てください。「演技派俳優」という表現が、いかに俳優をバカにした表現が痛切に分かるはずです。』
ぎゃふふーん。いま思い出しても、苦い苦い後悔がよみがえります。
実は、「演技派俳優」とのテロップを目にしたのは、このツイートを書いた、さらに数カ月前のことでした。
その時、思わず僕は、妻に言いました。「さすがにこの表現はなくない?なくなくなくなくない?なくなくなくなくなくなくなくないなくなくなくなくない?」ごめんなさい、ふざけてる場合ではありませんね。「さすがにこの表現はないよね?」と言ったのです。
妻からは「間違ってもツイッターに書くなよ」と言われ、僕も「分かってるよ、書くわけないだろ」と答えました。
でも、それから何カ月もたったある日の夜、書いちゃったの。酔ってたから。
「酔ってたから、を免罪符にするな」と思われた、そこのアナタ。同感。まるで同感。アナタに百万票。結局酔ってたから許してと言いたいだけじゃないかと思ったそこのアナタ。結局酔ってたから許してと言いたいだけなんです。
あと、要するに宣伝をしたかったんですな。「はるヲうるひと」「ひきこもり先生」「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」、頼むから全部観てくれと。全部観てくれたら、俳優はひとつのイメージで捉えられるものではない、ひとつのイメージで捉えられるのはある意味仕方ないことだし、何よりそれはこの上なくありがたいことでもあるが、でもひとつでは捉えられない、僕に限らず俳優には無限の、本当に無限の可能性があるんだぞ、そのことが、全部ご覧になったらきっとお分かり頂けるぞ、と。