ただ、その後も順調ではなかった。19年の世界選手権では400メートル個人メドレーで銅メダルを取ったが、200メートル個人メドレーでは泳法違反で失格した。エースの重圧にも苦しんだ。

 この日の表彰式後、メダリスト会見に臨んだ大橋はこう振り返った。
「正直全然うまくいってなくて、金メダルを取れるなんて昨日の予選を泳ぎ終わるまでは一瞬も思ったことはありませんでした」

「余計なことは考えずに自分のレースだけに集中して、もう周りは見ないで泳ぐというのが金メダルを取れた一番の要因だったかなと思います」

 大橋が東洋大学に入学した当時から指導を続けてきた平井伯昌・日本代表監督も教え子の快挙を喜んだ。

「(レース前は大橋が)『すごい緊張している』って言ってね。は行ばっかり。はあはあ、ふうふうと言ってて。ほんと、よくがんばってくれたなと思うし、俺もよく頑張ったなと。報われました」

 また、こうも言った。

「(高校生のときに見た最初の印象は)才能に満ちあふれていると思いました。だけど、才能っていってもすぐに磨けるような才能じゃなくて、すごく手をかけていかなければいけない才能。繊細なんで、難しいところもあった」

「今回も大学の仲間がアルバムを作ってくれて、彼女を精神的にも支えてくれたので、正直万全な練習ではなかったですけど、最後うまく整って今日の決勝につながった」

 レース後の取材エリアやメダリスト会見での大橋と記者との一問一答は次のとおり。

――おめでとうございます。取った瞬間の気持ちは。

正直、最初に掲示板を見たときは「あ、逃げきれたな」と思いました。

――フリー(最後の4種目目の自由形)に入ったとき、怖さっていうのは?

 そうですね。この距離で逃げ切れるかどうかっていうのと、300~350(メートル)を攻めると平井先生とも決めていたので、そこがすごくよかったと思います。

――差を縮ませなかったということで、もしかしたら勝てるみたいな気持ちは。

 (16年の)リオデジャネイロ(オリンピック)のときも(男子400メートル個人メドレーで金メダルを獲得した萩野)公介さんがそうだったと思うんですけど、300~350で相手に追いついてきたと思わせちゃうと、向こうも元気になってきちゃうので、300~350で攻めるというのはリオが終わってから言われていたので、できて良かったと思います。

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