AERAの将棋連載「棋承転結」では、当代を代表する人気棋士らが月替わりで登場します。毎回一つのテーマについて語ってもらい、棋士たちの発想の秘密や思考法のヒントを探ります。渡辺明名人、「初代女流名人」の蛸島彰子女流六段、「永世七冠」の羽生善治九段らに続く21人目は、「日本将棋連盟常務理事」の森下卓九段です。発売中のAERA 2022年12月12日号に掲載したインタビューのテーマは「印象に残る対局」。
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「なんで投げないんだろう、と思っていました」
森下卓は、羽生善治(現九段、52)に挑んだ1995年の名人戦七番勝負第1局をそう振り返る。
「当時の状況は、はっきり覚えています。将棋は『もうどう考えてもダメだろう』というぐらい大差で私が必勝形。そのうち、対局室に羽虫が入ってきました。私はそれが気になってしょうがない。『うっとうしいな』と思いながら、盤上を飛ぶ羽虫を手で払っている。それでも羽生さんは、じっと考え続けていて」
森下28歳、羽生24歳で、名人戦史上初となる20代同士の対決だった。その頃、森下には好きな女性がいた。
「早く終わって、早く彼女に『勝った』と電話したい。対局中に、そんなことを考えていたんです」
ふらふらっと、森下は桂を打った。これで決まったはずだった。しかし羽生に歩を突かれてみると、もう羽生玉はつかまらない。将棋史上に残る大逆転劇だった。
「大盤解説を担当されていた内藤國雄先生(九段、83)は『もうこの将棋、森下の勝ちやから』と言って、お客さんを帰されたそうです。『次の日、新聞見たら、きみ、負けとるやないか。びっくりしたで』と内藤先生に言われ『本当に申し訳ないです』と謝ったことがありました(苦笑)。お恥ずかしい話ばかりです」
森下が決死の覚悟で集中して臨んだ第3局。羽生は拍子抜けするほど、あっさりと投げてくれた。森下が勝ったのはその1局のみ。七番勝負は1勝4敗で敗退した。
「これは自分の推測ですけど『この人にはスキがある』とか『ない』とかいうのが、羽生さんは本能的にわかるんじゃないかなという気がしました。『この人、将棋に集中してないな』というのが、おそらくわかったんだと思うんです。羽生さんも(現在の妻と)恋愛中だった。それでも変わらず集中されていました」
勢いを得た実力者が、時代の覇者たる名人に挑む。これが名人戦の基本的な構図で、森下─羽生戦もそうだった。
「傲慢でもなんでもなく『名人戦挑戦者ぐらいにはなれる』と思っていました」
(構成/ライター・松本博文)
※発売中のAERA2022年12月12日号では、森下卓九段が名人戦に出た28歳当時の自分についても話しています。