科学的知見から「開催は普通ではない」とされた東京五輪だが、政府は「安全・安心」と唱えながら強行開催した。リスク管理・コミュニケーションコンサルタントの西澤真理子さんは、科学よりも政治が優先されたことに危機感を抱く。AERA 2021年8月16日-8月23日合併号の記事を紹介。
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東京五輪をめぐり、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長が6月初め、「パンデミックの所でやるのは普通ではない」と発言しました。このとき、科学よりも政治が優先されている、と感じた人は多かったのではないでしょうか。
今回のようなパンデミックにおいて、科学が置き去りにされるのは危機的状況です。
コロナ対策で求められるのは、リスクに対応するために行う「リスクアナリシス」の精度です。これは「科学(リスク評価)」「管理(リスクマネジメント)」「伝達(リスクコミュニケーション)」の3要素のパッケージで構成されています。
ところが今回の五輪では、リスクマネジメントの基礎になる科学の知見がどこかの時点で除外されました。それは「安全・安心」という言葉で全部ひっくるめてしまうような言い方を、菅義偉首相はじめ五輪を取り仕切る政治家たちが一斉に使い始めた段階で顕著になりました。
リスク管理に「安全・安心」は禁じ手です。安全が最優先なのに安心を強調することは精神論を先行させます。その結果、本当にやるべき対策がおろそかになり、リスクと被害が拡大してしまうからです。
ましてや今回は、複数の科学者が「安全ではない」と説き、五輪のコロナ対策として採用されたバブル方式にも様々な欠陥が指摘されていました。にもかかわらず、政治や行政を担う側が「安全・安心」を唱えるのは政策として矛盾しています。このことは今、若者の間に感染爆発が起きていることと無関係ではありません。
リスクコミュニケーションは受け取る側が「なるほど」と思える納得感が大事です。五輪という大きなイベントを開催しつつ、自粛してください、でも感動してくださいという呼び掛けは明らかな論理矛盾です。