「ミャンマー人と真剣に向き合って、ミャンマーのコミュニティにしっかり入り込んでいけば、軍事政権下でも、外国人でも、ちゃんと開業できますよ」
しかし80歳近い高齢。肝臓に疾患を抱え、黄疸にもなり、バンコクで手術も受けていた。その体に新型コロナウイルスが入り込んでしまう。ミャンマーでは国軍がクーデターを起こすという不運が重なっていた。
Kさんにかかわるミャンマー人たちは、まず日本大使館に連絡をとった。しかし入院先探しは難航した。
国軍に抗議する多くの医師や看護師が不服従運動に参加していた。医療の現場は人手が足りなかった。そこに襲いかかったコロナの嵐。医療体制は簡単に崩壊してしまっていた。
ミャンマー人たちがみつけたのは、郊外にある仏教の瞑想センターだった。不服従運動を続ける医師や看護師が常駐し、ボランティアでコロナ患者の治療にあたっていたのだ。
ミャンマー国軍は、反旗を翻す医療従事者を摘発するために、こういった施設にも踏み込んできていた。しかしこの施設は大丈夫そうだった。
Kさんがここに入院したのは7月21日だった。デルタ株患者が急増している時期だった。この施設でも1日10人以上が死亡していた。施設側の担当者によると、Kさんの体調はそれほど悪くなかったという。
「病院に入院できるまで……と考えていたと思います。うちは急ごしらえの診療所。施設はけっして満足ではありませんから」
しかし2日後の午後、Kさんの容態は急変する。酸素吸入をはじめたが……。昼食を普通に食べているところまで、Kさんの世話をしていたミャンマー人たちは確認している。
Kさんはミャンマーの日本人社会との交流はほとんどなかったようだ。彼の話を訊こうとヤンゴン在住日本人に連絡をとったが、面識がある人には出会えなかった。しかし知り合いのミャンマー人たちは皆、知っていた。そういう人だった。
「Kさんはある意味、幸せだったのかもしれない。彼がしっかり向き合ったミャンマー人に看とられたんですから。国軍はね、ミャンマーのなかのそういう人間関係を断ち切ろうとしている。連帯が怖いんです。新型コロナウイルスも、アウンサンスーチーさんのときは、皆で立ち向かおうという機運があった。いまはそれがない。国民同士が助けあおうとすると国軍が銃を向ける」
ヤンゴン在住日本人のひとりはKさんの死をこうとらえる。外国人向けの高級病院はだいぶ前から入院を断っている。日本人は感染しても行き場がない不安のなかにいる。
「こういうことだったのか」
クーデターから半年。日本人も追い込まれている。
■下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(毎週)、「たそがれ色のオデッセイ」(週)、「沖縄の離島旅」(毎月)、「タビノート」(毎月)。