「おや?」と思って立ち止まる。そしてはじまる旅の迷路――。バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏が、世界を歩き、食べ、見て、乗って悩む謎解き連載「旅をせんとや生まれけむ」。今回は、新型コロナウイルスの感染が拡大するミャンマーで亡くなったある日本人男性について。クーデターから約半年が経過。現地では医療体制が厳しくなってきているという。
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7月24日、ミャンマーのヤンゴン在住のKさん(79)が、新型コロナウイルスで亡くなった。この時期、相次いで3人の日本人が感染し、ミャンマーで死亡している。
Kさんはヤンゴンでゲストハウスを経営していた。オープンは1996年。民政化に移行する前である。
ミャンマー唯一の日本人宿だった。日本人宿というのは、宿泊客の大半が日本人という宿。オーナーは日本人ということが多かった。宿には情報ノートが置かれ、その情報を頼りに、日本人バックパッカーたちは旅を続けた。世界のさまざまな街に日本人宿があった。
僕もお世話になったことは多い。しかし海外ではできるだけ日本人を避けるように旅をするタイプである。ヤンゴンのこの宿には泊まったことはなかった。
常連客だった日本人Yさん(45)は、Kさんの印象をこう話す。
「いつもミャンマー人のようにロンジーをはいていました。髪は角刈りで、寿司屋の職人風情。こちらの話はよく聞いてくれるけど自分からはあまり話さないタイプでした。日本人宿のオーナーはアクが強い人が多いけど、彼は凛としていた印象が強い。その姿を見ると、宿のルールなどきちんと守らないといけない気にさせるというか」
ロンジーというのは、筒状の民族衣装。ミャンマーの男性の多くがズボン代わりにはいている。
ミャンマーにある程度詳しい宿泊客は、民政化以前の軍事政権下でもゲストハウスを開くことができたわけをよく訊いたという。そんな質問に、Kさんはこう答えていた。