松田:AGT(オーディション番組「アメリカズ・ゴット・タレント」)に出演したときは、僕と七五三掛と宮近と松倉が語学学校で同じクラスで、先生が「Travis JapanがAGTに出演したからみんなで見よう」と朝から時間をつくってくれて。僕たちは恥ずかしかったけれど、クラスのみんなは喜んでくれたから、素直にうれしかった。僕は普段から授業で自己紹介をする際は「日本のスターです」と言っているくらいだから(笑)。
――もちろん、苦労もあった。
川島如恵留:僕たち7人は、Travis Japanのメンバーでありながら、Travis Japanのスタッフでもありました。交渉業務も自分たちでやっていたんです。インスタグラムにしろ、YouTubeにしろ、撮影許可は必要ですし、ダンススタジオで撮影していた動画を投稿するために、スタジオと交渉することもありました。自分たちで楽曲を作るとなって、当初は組まれていなかった予算を事務所に相談して組んでもらったこともあります。
中村海人:日々の予定を組むのも如恵留君がやってくれました。日本ではメンバーと一緒に暮らしていなかったので、仕事以外での様子を見ることはあまりなかったんです。一緒にいて行動の一つ一つを見たからこその尊敬や信頼感も芽生えました。
コンテストが終われば、みんなで家に帰って衣装を洗ったり、スプレーをかけたり。そういうことは日本にいれば、すべてスタッフの方々がやってくださっていた。アメリカに行って「誰かがいなければ、できないことだったんだ」と気づくことができました。日本での当たり前は、向こうでは当たり前ではなかった。苦しい時はすごく苦しかったけれど、いい経験をしたと思っています。まちゅ(松倉)はSNS担当として、日々投稿してくれていたよね。
■世界の広さを感じた
松倉海斗:インスタグラムを担当していたので、ファンの方の声を誰よりも身近に感じられていたと思います。投稿するときは、「こんなコメントがくるかな」と予想しながら投稿したりするのですが、予想以上にさまざまなコメントをいただいて、すごく救われました。
米国にいたとき、ファンの皆さんとつながることができるツールは、インスタとYouTubeくらいだった。ファンの皆さんのコメントがなければ、おそらく僕は“インスタリーダー”として続けることはできなかったと思います。「情報を届けてくれてありがとう」という言葉があったから、半年間、投稿を通じてずっとつながることができたんだと思います。