アフガニスタンでは少年も銃を携え、ときおり部族間の戦闘も起こるが、外敵が来ると団結する。最盛期の英国や最大の軍事国家ソ連に勝った経験を誇るだけに、米軍が一部の部族を抱き込み占領しても簡単に手なずけられる相手ではなかった。

 生活のために政府軍に応募しても米国への忠誠心は乏しく、軍の上層部から中堅幹部までが兵の数を水増しし、その給与を懐に入れることが横行していた。

 米軍は最盛期に約9万人を派遣するなど計50カ国の約14万人がアフガニスタンに駐留したが、苦しい戦いとなった。

■政府側は住民を守れず

 タリバンは01年10月から米英軍、北部の部族軍閥部隊の攻撃を受け、11月にカブールが陥落、12月には南部の拠点カンダハルから撤退、壊滅したかに見えた。だが彼らは武器を携えて故郷に戻っただけだから、03年にはゲリラ戦を始め、05年には南部各地で蜂起、06年にはタリバンの攻撃回数は03年の10倍になった。米軍は航空攻撃で対抗し、中央情報局(CIA)は無人機によるタリバン幹部の殺害を行い、「民間人の死傷者の半分以上は外国軍を中心とする政府側の攻撃による」とも言われた。

 アフガニスタン、イラクで米軍司令官を務め、後にCIA長官にもなった知将デイビッド・ペトレイアス陸軍大将は「敵1人を殺せば恨みを晴らそうとゲリラに参加する者が2人増え、戦争は終わらない」と言い、住民を守り民心を掌握する重要性を説いた。07年になるとタリバンの絶滅は困難な情勢となり、アフガニスタンのカルザイ大統領はタリバンに和平を提案、10年には米国とタリバンの秘密交渉も始まった。

■和平提案後10年も戦争

 その後も断続的に交渉が行われたが、「米軍は21年5月1日までに完全撤退」という和平合意が署名されたのはトランプ政権下の20年2月だった。バイデン大統領が米軍の完全撤退開始を公式に発表したのは今年4月14日、カブール陥落で戦争が終わったのは8月15日だから、和平提案から10年も無意味な戦争が続いたことになる。戦争を始めるのは容易だが、中途で止めるのは難しいのだ。

 タリバンの急速な進出により、カブール空港に出国を求める群衆が殺到、悲惨な大混乱が起きた。米国の共和党はバイデン大統領の責任を追及するが、仮に1カ月米軍の撤退を遅らせても、その時点で同様な混乱が発生した可能性は高い。

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