会場で廣田の隣に一人の若者が立っていた。Tシャツ姿で長髪にヒゲ。とても社員には見えない。彼の名前は菊川裕也(36)。このシューズを共同開発したベンチャー「ORPHE」(オルフェ)の創業者だ。

 菊川が会社を立ち上げたのは7年前。小さな縁を紡ぎながら、世界的なスポーツ用品メーカーとの業務提携にたどり着いた。まさに日本に生まれた「起業の循環」の申し子だ。

 菊川は1985年、鳥取市で勤務医の長男として生まれた。中学生の頃にはインターネットが身近にあった。高校は県屈指の進学校、鳥取西。OBでアシックスの創業者、鬼塚喜八郎がやってきて講演をしたことがある。自分が十数年後に靴作りで協業するとは夢にも思わなかったが、「こんな立派な人が先輩なのか」と何となく感心した。

<私みたいに全身を義体化したサイボーグなら誰でも考えるわ。もしかしたら自分はとっくに死んじゃってて、今の自分は電脳と義体で構成された模擬人格なんじゃないか>

 アニメ映画「攻殻機動隊」で、全身を義体(機械)に替え、脳をネットに接続した主人公の草薙素子はこう呟(つぶや)く。菊川が小学生の頃、世界的に大ヒットしたこの映画は、ハリウッドの監督、ウォシャウスキー兄弟(現・姉妹)にも強い影響を与え、映画「マトリックス」誕生のきっかけになるなど、当時のクリエーターたちを強く刺激した。

■バンド活動に傾倒

 菊川も大きな影響を受けた。例えば義足の進化で、パラリンピックの選手がオリンピックの選手より速く走る世界。「身体がネットとつながることで、人間の定義が塗り替えられるかもしれない」。漠然とそんなことを考えるようになった。

 その後、経営を学びたいと思った菊川は一橋大学商学部に進む。だが「大間違いだった」と振り返る。そこは経営を学ぶ場所というより、優秀な会社員の養成所。同級生は「優」をたくさん取って、大企業の内定をもらうのが目標のようだった。

 講義に興味が持てない菊川はバンド活動にのめり込む。人と同じことが嫌いで、ジャンルや形式にとらわれたくない。「New Wave」の商業主義的な部分を風刺した前衛パンク「No Wave」に傾倒した。

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