それを元手に14年11月、東京・秋葉原にある高層ビルの2フロアを借りて「DMM.make AKIBA」をオープンさせた。「ものづくりスタートアップのインキュベーター」というコンセプト。オフィスや会議室、カフェからなる「Base」のフロアと、工業用3Dプリンター、レーザーカッターなどのデジタル工作機から耐熱、耐水試験用の装置など総額5億円の機材を並べた「Studio」のフロアで構成する。

 菊川たちが「光る靴」を見せにいくと、小笠原は言った。

「面白いから会社を作って、Studioでやらないか」

 菊川はまだ起業まで腹をくくれていなかったが、DMM.makeは「アイデアはあるが開発する場所がない若者たち」にとって天国のような存在だった。小笠原は「出資もするよ」と背中を押した。菊川たちは起業し、1期生として入居した。

 会社の名前は菊川が傾倒していた「No Wave」にちなんで「no new folk studio(nnf、ノー・ニュー・フォーク・スタジオ)」とした。テクノロジーで既存の文化や民族を超えた価値を生み出すという意味だ。光る靴はギリシャ神話に登場する竪琴を弾く吟遊詩人、オルフェウスを短くして「オルフェ」と名付けた。

 今度は作品ではなく製品だ。コンバースにLEDを巻いて済ますわけにはいかない。履き心地や耐久性が備わっていなければ売り物にはならない。ところが創業メンバーの4人は誰も靴の作り方を知らない。菊川と金井は飛び込みで東京・浅草にあった靴の専門学校、エスペランサ靴学院を訪れ「靴の作り方を教えてください」と頼み込んだ。講師の一人がオルフェのアイデアを面白がり、業務委託の形で靴作りを手伝ってくれた。

(敬称略)(ジャーナリスト・大西康之)

AERA 2021年8月30日号より抜粋